2021年6月13日日曜日

追憶日記:EUパスポート保持夫と共にイギリス移住。シリーズまとめ

この投稿では「追憶日記:EUパスポート保持夫と共にイギリス移住。」シリーズの記事がまとめてあります。



追憶日記:EUパスポート保持夫と共にイギリス移住。その1、「2021年3月初旬、プランでミック最中でのイギリスから日本への渡航」

追憶日記:EUパスポート保持夫と共にイギリス移住。その1、「2021年3月初旬、プランでミック最中でのイギリスから日本への渡航」

飛行機から見たガイア


こんにちは、ぽんたです。
ブログを更新する気力がなかなかなく、だいぶ滞らせましたが、本日よりぼちぼち再開していきたいと思います。

今回追憶日記シリーズとして、2021年新型コロナウイルスのプランデミック最中での3月の初旬の日本への帰国、EU settlement scheame family permitを申請し、それを待ち、受け取り、イギリスへ再び入国するまでの一連の流れをかいつまみながら振り返ってみたいと思います。

ご興味のある方へ興味深い内容にできたら良いな、と思います。

これより以下は追億日記のため、ですます調は省略させていただき、私のつぶやきの連続のような形式でつらつらと書かせていただきます。



2021年2月の下旬、ロンドンでのとあるシェアフラットの牢屋サイズの部屋にて。

夫のEU settlement scheame(pre settled status)がEメールでやっと届いた。(これにたどり着くまでに約3ヶ月、夫は首を長くして待った。)

夫は、これで5年は英国に住み続けられるぞ、とやっと確信し、私が日本へ行って私に必要な査証を申請する手続きへのゴーサインが出た。


これに関しては、夫がその書類を申請した時に同時に申請することもできたし、日本に行かなくても例えばモルドバでも申請することができた。

ただ、EU settlement scheameは英国内で申請すべきものであるのに対し、そのfamily permitは英国の外から申請・受理しなければならない。


なぜそもそもそんなすったもんだをしなければならなくなったかというと、英国がEUを離脱する、と踏ん切りをつけたからだ。


今まではEUパスポート保持者は英国でも自由に住めて自由に仕事ができた。逆にイギリス人が他のEU諸国で働きたい場合もしかり。3ヶ月以上の滞在は住所登録はしなければならなかったかもしれないが、それでも英国に住もうとするのに敷居はそこまで高くなかったであろう。


しかし、英国はとうとう決めた、2020年12月31日移行は俺たちはEUではない、と。

そして、2020年12月31日までに英国に来て居住し始めたEU出身の人々へ対して、2021年6月30日までにEU settlement scheame(pre settled status)を申請、登録するように定めた。

(このことを友人から聞いた夫は、2020年の11月末、僕はロンドンに住みたい、と言い出した。僕にはあと1ヶ月しかチャンスはない、と。その時私はまだモルドバの居住許可を申請したばかりで、それをとりあえず待たなければならなかったため、じゃあお前先に飛んで仕事と部屋を見つけて来い、と送り出した。そうして彼はロンドンに滑り込みセーフをしたわけである。)

ロンドンでも桜を愛でることができた。


そしてその家族に対しても、もし彼らが英国に住んでいなかったとしても、英国の外から2021年6月30日までにfamily permitを申請するように定めた。


4月以降にそれを提げて入国した家族たちは、4ヶ月以内にEU settlement scheameを申請する必要があるらしい。(私は不安だったのですでに申請した。)


上記の通り、私は私の英語の解釈があっているのか定かではなく不安であったため、6月末までに再び英国へ入国しEU settlement scheameを申請し終えることを目標にした。


今の時期、嫌が応にも渡航後の自主隔離期間がスケジュールに入ってくる。それが明けてからでないと指紋を採ってパスポートを提出しにいけない。そしてパスポートに許可証が貼られて戻ってくるまでの期間、どれくらいか検討がつかない。


体感的には3月の初旬までに日本に入国できればギリギリ間に合うだろう、という感じであった。

なぜ、モルドバでもできるのに、渡航費用をわざわざかけて日本での申請を決意したのか、というと、なんとなく、そっちの方が体の感覚が心地よかったからだ。


頭で考えると、モルドバの方がよかったかもしれない。渡航費、末日数、どれも節約できたであろう。


でも、夫のいないモルドバなんて、申し訳ないが、いる価値が私には全くもって見えない。


薬漬けの隣人、妄想症の姑、アル中の姑の彼氏を避けながら、シャワーのないろくにお湯が出ない埃まみれの部屋でひっそりと息を潜めて時を待つ、、、のはもう十分だ。そんな場所には戻りたくない。


というわけで、意を決して日本への渡航を決めた。


日本へ行く前に、準備をしなければならないことがあった。pcr検査だ。渡航日の三日前以降に受けた新型コロナウイルスの陰性証明書を取得する必要がある。

ヤギでもビールでも要請を示す、あのpcr検査だ。


uk home officeのサイトでわかりにくく紹介されていた検査機関のうち、行きやすくて少し値段の安いところへ申し込み、受けてきた。申し込む際はパスポートの情報が必要だった。試験会場に行く時もパスポートを持参しなければならない。


値段が安い、と言っても、クソ高い。しかも行ったらセルフサービスだ。自分で綿棒を花に突っ込み、のどちんこへ突っ込む。受付にお姉さんが1人座っているだけの、イベント会場を借りて作られた即席検査会場。超良いビジネスやってますね。それで3万円弱とるんですかこのインチキなキットに。たいそうなご身分ですね。


20秒、誰が自分の鼻の奥に突っ込もうか、綿棒を。当然チェックする人などいないからペッペッペーと終わらせる。そんな不快なことを自分の身体にするわけがない。綿棒の先に何が付いてるかもわからないからね。


モルドバでは重装備で人がやっていた。しかも値段は5千円くらいだった。まだその時はあ、何か蔓延しているんだな、と思っていたがこれでは確信に変わるものがある。


あ、みんな蔓延しているふりしてるんだ。。。あ、ここの人たちはそれに気づいてハイハイお金払えばいいんでしょ、、、と付き合っているのか。


結果は翌日eメールで届いた。結果は陰性だった。誰にも会ってないのだから当たり前なのだが、これに関してはいつも少しドキドキする。


英国では電子メールの事をviaメールという。これを知らなかったため、私は結果が紙面でポストに投函されるのかと思っていたが違かった。


その日の気温は14度だった。モルドバでマイナス気温で冬を過ごしていた私は、てっきり14度は割と暖かく、きっと春ぐらいだろうと思い、春ぐらいの格好をして検査会場に行った。


ところがどっこい。14度はまだまだ寒かった。カタカタ震えながら帰路に着いたが、バスの中では半袖半ズボンの少年を見かけるし、短パンで皮膚を真っ赤にしながら自転車をこぐ殿方はいるわで、ロンドンでは割と皆さん薄着普通のご様子。


夫は、モルドバでは子供に冬場ニット帽を被せるように親が気を使うが、ロンドンではそれが全くない、と少し批判ぶったことを言っていたことがある。


そんなこんなで陰性証明書を携帯に保存し、

(つい最近、紙面ではないと強制送還されたらしいとか、というニュースが出てきた。ガチで引いた。日本、大丈夫か?と思った。今時紙を要求するなんて。。。私も時間に余裕があるときはその方が相手にも見やすいから一応紙にするけど、ギリギリに結果が来る場合もある。日本は書式を指定しているので、たいていの場合日本政府側が必要な情報はどこの検査機関でもクリアできているけど、これから飛ぶなら確認した方が良さそうだ。)


いざ空港へ!!

カウンターでは陰性証明書をちゃんと持っているか確認して、大丈夫という判断がなされたらチェックイン荷物を預けて出発する。


私が飛んだ時の日本の厚生労働省かなんかの決定では、英国からの入国は3日間の指定のホテルでの待機、その後、残りの日数を自主隔離、計14日間の自主隔離期間を定めていた。

だいぶ、この日数は人権侵害に関わってくるだろう。それでも仕方がない。もう行くしかない。

ちなみに日数の数え方は、到着した次の日から1日目、と数える。15日目から外出していいよ、ということだ。


飛行機に搭乗するとき、係りの人に松果体にレーザービームを当てられた。このときふざけんなぶっ飛ばしてやろうか、とは言ってはいけない。


ブラジルのフォルタレザでは、早々におでこにあの拳銃型の熱を測る機械を当てるのはなくなった。みんな腕で測るようになった。


そりゃそうだろう、あのポーズは強盗か人殺しか処刑人しかやらない。治安の悪いフォルタレザの人たちはきっと多くの人がストレスを感じるだろう。トラウマがある人だっているだろうし、かなり屈辱を受けるポーズだ。身の危険を感じる。


それをこの航空チームはまだやっていた。カタール航空だったか。ま、のちに日本でも散々やられるようになり、最終的にぶちぎれたように腕にやってくれ松果体が傷つく、というようになったが。

だって1回腕にお願いしますって言っただけだと食い下がってきたから。リラックスしたくて行ったのに、神経を逆なでられ、2度と行かないと誓った。ま、日本にいないけど。


どこが傷つく云々より、拳銃型のものをおでこに突きつけられて何も言わないでいられる感覚がわからないし、お客さんのおでこに拳銃型のものを平気で突きつけられる店員の感覚もわからない。ふざけんじゃねえっていつも抑えるのに必死だった。


京都では、観光客がきっとあの町を育ててくれているところもあるのかもしれなく、ちゃんと腕で測ってたな。厄介なのは、スマフォみたいな奴で測ってくるやつだが、もうそれくらいでは私の松果体は負けないと信じて行きたいお店に入っていくしかない。お店の人も、そうじゃないと営業させてもらえないのかもしれない。ブチ切れてごめんね。


さて、私はお肉を食べないことにしている。

(youtubeでオススメじみたことをしておいてなんだが、こればかりはほんと個人差。体や魂に問いかけながら進んでいかないと、貧血になったりする。私はお肉を食べなくしたら3年ほど続いたある部分の不調が治ったので継続中。いずれにせよお肉の質は気にした方が良いと思う。)




そのため、事前にチケット予約後電話して機内食をベジタリアン食に指定しておいた。指定の仕方は各航空会社のホームページでどのようなメニューがあるかを確認して自分が食べれるメニューの名前を把握し連絡するだけ。ただ、添加物に関しては融通が利かない。

カタール航空のベジタリアン機内食

このいろいろ面倒な時期に長距離渡航する人は少ないため、私は日本にくるときカタール経由の飛行機で来たが、乗り継ぎ前も、乗り継ぎ後の飛行機もエコノミー3列貸切。

全ての肘掛をあげてねそべることができたので、長距離フライトにしては人生初のそこまで疲労感がない渡航となった。

カタール空港でのお世辞にも可愛いとは言えないクマ





次回は日本に着陸してから、3日間の指定場所での待機について振り返れたらと思っています。

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