2022年1月12日水曜日

〜ロンドンにて縄文文明に思いをはせる〜2022年1月10日の手記より

〜ロンドンにて縄文文明に思いをはせる〜2022年1月10日の手記より

こんにちはぽんたです。

この記事は1月10日につらつらとパソコンに打ち込んでいたものです。

お散歩していたら見つけたかわいい建物



理想の夫とはどういったものだろうか。生き生きと仕事に行き、少しは贅沢できるくらいの稼ぎで、週末は必ずどこかへ連れて行ってくれ、美味しいレストランやカフェでご飯をたんまり食べさせてくれて、いつも様々な話題で楽しませてくれ、家事も結構手伝ってくれる、、といったかんじだろうか、、、?


しかし、現実はどうだろう。 本当にやりたいこととは若干ズレているような仕事場に毎日行き、ストレスを感じながら生活ギリギリの稼ぎで、給料日前はどこへも行けず、嫁にも何も買ってあげられない。


やっとこさ週末、仕事で疲れているため家でゆっくりしたい、もしくは好きなスポーツを友達としたい、が、天気には恵まれない。


自分の好きなものを何ヶ月も我慢しているのに、嫁はあそこへ行きたい、ここへ行ってみたい、美味しいもの食べたい、どっか連れてってくれ死にそうだ、と毎週末泣き喚く。


口を開けば、自分の趣味の話ばかりで、嫁が若干うんざりしているのにも気づかないふりをし、自分の気に入った動画を見せまくり、コメントを求める。そのくせ、嫁の話はほとんど聞いていないし、途中で遮りさえする。


こうやってつらつらと書き出してみただけでも、結婚生活とは果たして人類がたどり着いた最良の答えなのだろうか、という疑問が生じざるをえない。 地球を支配する者たちが、人類を結婚という型にはめることで、男女のいざこざを生じさせ仲をこじらせたいのではないか、、、とさえ勘ぐってしまう。


私は決して結婚したことを後悔しているわけでもなく、夫を欺くつもりも更々ない、ということを前提にして、 それでも頭によぎっていく考えをちょろちょろここに書き出してみようと思う。


縄文時代は、コミュニティで子供を育てていたらしい、という動画を見た。性に関しても割と奔放そうな印象を受けた。


私自身も自分の奥底に眠る欲を観察していくと、自分の遺伝子はとても素敵だと思っているし、できれば様々なバリエーションの子孫を残していきたい、と感じているようだ。


そして、夫の遺伝子のことを考えた時に、こんなに強くて立派な遺伝子なのだから、できるだけたくさん後世に残して欲しいな、とも感じる。


仮に我々の文明が結婚という制度がなく、コミュニティで子供を育てていくことが当たり前だとすると、浮気だとか不倫だとか嫉妬だとかの概念もおそらくないはずで、自分の遺伝子を紡ぐこと、相手の遺伝子を紡ぐこと、自分の部族、コミュニティで子孫が繁栄していくことをリスペクトできていたのではなかろうか。


稲作が入り込んできて、自然を切り取ってこれが自分の土地だとかなんやかんや始まってしまって、人類がより脳みそで物事を考えるようになってしまってから、いろいろ変わってしまったのかもしれない。


殺らなきゃ自分の部族が殺られるような混乱が生じていくうちにいろいろ変わっていってしまったのかもしれない。


ゴリラの群れのようなことはあった時期もあったのだろうけど、女性側の子孫バリエーションを増やせるような機会は早々に失われたように感じる。


こんなことをぼそぼそ思っていても、今の文明で、今の価値観で、様々な遺伝子バリエーションを残すことはものすごいリスクが伴う。


まず、道端に食べられる植物がてんでない。子供を育てるためにはお金が必要で、お金を稼ぐためにはこの文明のシステムに従わなければならない。


今、頭の中にくしゃっと出てきたことがあって、少し違う角度からまず考えて書き記してみようと思う。


ライオンや猿は一夫多妻で、群れのリーダーが変われば新しいリーダーのオスは前のリーダーのオスの子供を殺すらしい。


方や、鳥さんたちは割と一生同じツガイで過ごす、といったことが多いと聞く。(中には浮気をする種類もあるらしいが)


動物たちは、あまり頭で考えずに遺伝子に組み込まれた本能に沿って賢く自分たちの子孫を繁栄させている、と私は解釈しているのだが、その本能行動のバリエーションに一夫多妻も子殺しも、ずっと同じカップルで過ごすことも入っている。


それでは子殺しをせずに、また、ずっと同じカップルであり続けることも特に決めずに、コミュニティで男女それぞれの遺伝子をリスペクトしながら子孫を繁栄し続けた縄文文明は、本能行動に従っているのではなく、最高にピースフルな彼らが見出した知恵、価値観であり、あの文明は自然と限りなく調和した高度な文明だったのではなかろうか、、、という結論に至った。


まあ、こうやってブツブツ書いてみていますが、これはあくまでも私が日頃キャッチしたたわいもない情報から適当に自分の主観に沿って導き出した誰の役にも立たない結論であって、
この結論を出したからといって、私と夫の夫婦生活に何ら支障は出ないのですが、


昨今あまり結婚にとらわれないカップルが増えてきているのも、これは別に悪いことではなく、ごくごく自然な流れなのかなぁ、とも思うのであります。


ただし、私がこのような結論にたどり着いてしまった以上、あまりにも夫が私を週末にどこへも連れて行かない時期が続いた場合は、どこかに一緒にお出かけしけくれる殿方を探し始めてしまうかもしれない、というか、昨日もう探し始めてやろうかな、とか考えてしまった自分がいる。


このことを夫は全く気付かずに今も私を信用し切っている。(結局昨日夫くんは痛い陥入爪を引きずりながら、私のプランに付き合ってくれたので、セーフだったが。)


世の中には様々なタイプの人が男女共にいますが、せっかく嫁のために頑張って稼いでいても、あまりにも嫁への直接サービスを怠ると、ショックを受ける羽目になる殿方も多いのではなかろうか。


私は夫とどこかに一緒に行くのが好きなタイプなので、お金渡されてほらどっか出かけてきなよ、みたいなのを、あと二回くらいされたら、放浪しながら楽しい仲になれそうな人を探してしまいそう。


ま、それにはおそらく至らないのですが。


なぜならこの間結構吐き出しましたので、さすがの普段話を聞かない夫くんもその時ばかりは理解したようで、今のところ、ちょっと改善してくれている。いやはや、ほんといい人。


はっきりと、具体的に言わないと、わからないご様子。ま、私が子供すぎるものある。



でも、特に人生で自分のやりたいことがあるわけではない、わからないっていう夫からしたら、この子供すぎる女の面倒見るってミッション、、、退屈はしないのでは、、、とポジティブに考える。


お読みいただきありがとうございました。次回は、また気が向いたときにつらつら書くつもりです。


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2022年1月8日土曜日

ロンドン生活手記シリーズ

 ロンドン生活手記シリーズ

ロンドンアイとその周辺の景色


すっかりブログ不精になった私の次なる作戦は、パソコンにつらつら書きためたものをこちらで紹介する作戦です。文体は、です、ます調ではなく、で、ある調で失礼いたします。

私がどのような目線でロンドンを、世間を見ているのか、ご興味のある方に覗いていただければ、と思います。





2022年1月7日金曜日

〜ロンドンの状況と私のメンタルヘルス〜2022年1月6日の手記より後編

〜ロンドンの状況と私のメンタルヘルス〜2022年1月6日の手記より後編

こんにちはぽんたです。

この記事は、前回の記事の続きです。前編はこちらからどうぞ。

それでは、2022年の1月6日の手記後編スタートです。


なぜかロンドンに溢れるイタリアの伝統クリスマスケーキ



〈前回からの続き〉

以上、ロンドンでの状況からの自分への影響。


話を軸に戻して、そのホメオパスの方に勧めていただいた腸の善玉菌を増やす方法の中で、サワークラウトがあった。


なるほど、それならモルドバにもあったなあ、と思い夫に話すと、ロシア人の方が美味しく作るはずだとかなんとか言って、ロシア語のユーチューブにあるレシピで作ってくれ、とのことだったので、まぁ、夫が食べてくれるのが何よりだから、その通りにした。


そうすると、確かに美味しいものができて、夫も食べてくれるものができた。


【夫は2つ歳が上なだけなのだけれども、国が違うからか、文化圏が違うからか、まるで昭和の男性のように感じるところがある。


昭和ならまだマシで、まれに大正、明治に生まれたのではなかろうか、、、と思うときもある。古き良き時代といえばそうなのだけれども、自分の慣れ親しんだ味しか受け付けてくれない。


私がいきなり彼の食べたことのない和食を家で作ろうものなら、また私が変な創作料理を作ったと思って、文句を言ったり食べてくれないことが多い。


だから、まず、レストランに行って、私以外の人が作ったものを食べさせて、こういう料理が既に存在するのだと、決して私が適当に作り上げたものではない、ということを認識してもらう必要があるのである。


だから、ロンドンに来て良かったのかもしれない。ロンドンは移民の都市なので、様々な文化圏の人が大勢いて、レストランも屋台もとてもインターナショナル。


私はレストランやカフェで家とは別の雰囲気を味わいながら食べるのが好きなのだけれども、夫は人が多いところは心地が悪いらしく、デリバリーを取ることの方が私たちは多い。


私が食べられるものがあるのは、ベトナム料理、タイ料理、マレーシア料理など、米粉の麺があってベジオプションがあって味が濃いもの。

幸い、夫もこれらの料理を美味しいと感じてくれて、家で何か作る時もナンプラーを使って炒め物ができるようになった。

(以前、ナンプラーの臭いを嗅がれてしまい、危うく使えなくなるところではあったが、どうにかもうすでに食べたことがあることを聞き入れてもらえてセーフだった。)】




ホメオパス曰く、私の腸は善玉菌のクッションがなくて、毒素をそのまま吸収してしまうのではなかろうか。腸と皮膚はつながっていて、(考えてみればそうだよね。肛門を境に腸、そして皮膚だもんね。)そしてセロトニンは腸で作られるらしく、メンタルに直結する、とのこと。




つまり、腸を整えることでメンタルも整う。確かに、本当にそうだと思うことがあって、サワークラウトを食べ始めてから、気分もポジティブになっていて、湿疹もそんなに出なくなった。


それを良いことに、本当は、症状が緩和するまで、悪玉菌のエサになる砂糖、柔毛にべったりくっついちゃうグルテン、おそらくそもそも私が処理できないであろう乳製品を控えなきゃいけないんだけど、年末年始、若干解放気分になって、小麦を使ったお菓子をこさえてしまったり、甘いものを食べてしまったり、白チーズを食べてしまった。


そしたら、やっぱりおととい、鬱状態に陥ってしんどくなってしまった。


年末年始、トレーニング場所がお休みなのと、どこかにお出かけしようにも天気も悪いしお金もない、太陽もない、みたいなことも原因かもしれないが、

でもやはり腸内環境に私の気分はだいぶ左右される、ということがやっと納得できた。


前々から薄々気づいてはいが、専門家に言われるとやはりそうか、となる。


マグネシウムについてもその方は触れていて、それに関しても今日、ちょっとわかったような出来事に見舞われた。


マグネシウムは、運動したり、ストレスがかかったりしても流れ出てしまうらしい。現代社会人の多くがマグネシウム不足だそう。


そして、マグネシウムと腸と皮膚とメンタルがどうつながっていたかはうろ覚えだが、(PHかなんかの関係だったかもしれない。)

何はともあれ、心身ともに良好な状態であるためにマグネシウムの不足を解消しなければならず、勧められたエプソムソルトでの足湯も始めていた。

皮膚の湿疹もあまり出なくなってきたのだが、今朝、白チーズを食べたらまた出てしまった。


サワークラウトも食べ続けているし、レメディも使用し始めているのに、なぜだろうか、と考えたところ、足湯を最近していなかったことと、昨日、しっかりめのトレーニングをしていた。マグネシウムが不足したことが考えられる。


そのためエプソムソルトでの足湯を施した。




サプリメントは正直あまり摂りたくはない。原料がどれくらい信頼できるものなのかがわからないからだ。しかし、もし私が信頼している情報筋の人たちが何かオススメしてくれるものがあれば取り入れても良いかな、と思う。(この世で1人しかいない。。。他力本願。。。)


とりあえず、ナッツ類を今日は買ってみた。ちなみに私が好きなナッツはカシューナッツ。


ところで、処方してもらったレメディに関しては、やはりプロの方に処方してもらっただけあって、結構細かくいろいろ考えてもらえた。


ポーテンシーや組み合わせ、摂取のタイミングや形状に関しては、やはり素人がいろいろ試してできる範囲を当然超えているので、客観的に分析してもらって、一番効率が良いと判断できたものを処方してもらえた感じ。満足だ。



それらを摂取し始めてみて、面白い夢を見たり、あとは、いわゆる好転反応と言われるうちの一つ、蕁麻疹がチラッと出たり、あとは、お恥ずかしながら精がついてきた。


低用量ピルをトルコにいた時に使っていたことがあって、それってやっぱり体に蓄積してしまって、PMSだとかに影響をするようなことらしいのだが、それをデトックスするような処方もしてもらえたようで、


そのおかげかなんだかはよくわからないのだが、夫が悲しむくらいに非積極的だった私が、だんだん元気が戻ってきて、今では様々な遺伝子のバリエーションを残したいなあ、とかなんとか考えるまでになってしまった。少し元気になりすぎたかな。


まあ、そんな野望は子供をコミュニティではなく各家庭で育てるようなシステムの現代社会ではリスクが高いし、第一やはり夫の遺伝子のように私にとって魅力的な遺伝子が巷にゴロゴロいるはずわけでもない。


でも性生活の充実は、私の体の状況も大いに関わっているが、夫側の日頃の努力もかなり重要であることをここに書き留めて本日の手記を終了することにする。


お読みいただきありがとうございました。次回は、また気が向いたときにつらつら書くつもりです。


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2022年1月6日木曜日

〜ロンドンの状況と私のメンタルヘルス〜2022年1月6日の手記より前編

〜ロンドンの状況と私のメンタルヘルス〜2022年1月6日の手記より前編

こんにちはぽんたです。

やはり、ブログの更新が滞っています。他のものに興味とエネルギーが移行していたのですが、それが少し戻ってきたのと、細々とでも続けられるような形を模索した結果、やはり日記というか、手記というか、自分が考えていることをつらつらパソコンに書きためて、それをここに転載する、という形で近い間はやってみようかな、と思っています。

そのため、文体はです、ます調ではなく、で、だ調になりますが、赤の他人の日記を覗いているつもりでご興味のある方に読んでいただけたら、と思っています。

それでは、2022年の1月6日の手記前編スタートです。(後編はこちらから)


セントポール大聖堂とクリスマスツリー




2022年1月6日


夫がロンドンに来て1年が経ち、私が本格的にロンドンに腰を据えて7ヶ月は経った。二人で生活をし始めてから2度目のショーの仕事のない年越し。


もう二人ではステージに上がることはないかもしれない。 ショーの仕事は彼にとって絶大なストレスだったらしい。


人前で恥をかきたくないのか、見栄っ張りなのか完璧主義なのかはわからないが、トライアル自転車はかなりデリケートであり、ブレーキの中の小さな輪っかのメタルに亀裂が入っただけでショーアクトが続行できなくなってしまう。


実際に数回ほどステージの上でそんな窮地に陥ったことがあり、途中でお辞儀をして引っ込んだことがある。




一方この私は、まだまだステージに上がりたい欲があり、いろいろと嗅ぎ回ってトレーニングも続けているが、このご時世と、自分の怠惰な部分もあってまだまだ良い機会にたどり着けてはいない。 


そうそう、先月あたり、とあるコンテンポラリーサーカスのオーディションに参加してみた。結果はダメだったけど、見た感じ、自分のレベルはそんなに悪くなさそうだった。


今回は残念だったけど、そもそもノルディック系のルックスを探しているところに書類とビデオ審査が通ったということもおかしな話で、まあ、ロンドンにこんな奴がいますよ、とご挨拶できて自分のバイブスを生で見てもらってグループワークでも同じ時間と空間をシェアできたので、とても良い機会をいただけたと思っている。



そして去年の暮れにもう一つ新しいこと、そうそれはホメオパシーのコンサルテーションを受けてみたこと。幸いなことにこっちで活動している日本人のホメオパスに出会い、色々話してレメディを処方していただいた。



レメディを処方していただく以外にも、腸内環境のことや免疫のことなどを説明してもらい、知人からシェアしてもらっていた情報と合わせてさらに自分の体のことをより近くマッピングできたような、点と点が繋がったような感覚になれた。

今までホメオパシーの家庭的なケアの本を自分で読んで適当に試してみていた自分が、なぜ今回コンサルテーションを受けるに至ったか、というと、メンタル面がどうにも自分で制御するのが困難になってしまったからである。


それまではかわせていた、気にしないで入られた、気づかないふりができていたことが、ロンドンの情勢も相まって、悲しみが抑えきれなくなってしまったのである。


電車に乗るのが辛くなって怖くなってしまい、せっかく友達になれそうだった人も一歩踏み出せなくなってしまうような、そんな状態に陥ってしまったので、誰か話がわかってくれそうな人に相談してみようと思ったのである。


ここでいうロンドンの状況とは、去年の7月19日以降取っ払っていたはずの顔を覆うあの忌々しい布の交通機関や店内での着用義務を政府が再び制定したこと。


それに伴い、何らかの理由があって着用していない、着用できない人に対して余計な目線、リアクションをする人が少なからず出てきたこと、店の対応、店員の塩対応、警察からの圧力などなど、直に肌で感じる圧力に私のメンタルは崩壊寸前となってしまった。


私は、自分の体をとても愛している。たとえこの世界がバーチャルで肉体はただのアバターであったとしても、やはりこの世を共に渡っていくベストパートナーであり、彼女が不快に感じることは何としても避けたい。


私の体があの布は息苦しくて嫌だ、ジメジメして気持ちが悪い、パンツ被っているみたいだ、汚らしい、というならば、私はそれを彼女に着用することを強要してはならない。



メンタルヘルスを崩すのは時間の問題であるため、自分の健康を守るためにあの忌々しい布切れは着用していなかった。まあ、どっちにしてもメンタルヘルスを崩してしまうのだけれど、、、。


イギリス政府のガイドラインにも書いてある。メンタルヘルス、身体機能に問題がある場合は着用しなくて良いと、そのために特別な医師の診断書も必要もないし、正式に何かを表示する義務もない、と。


政府のガイドラインはいたって良心的なものだった。しかし残念ながら巷の人間、警察はそんなガイドライン読んだことがないのだろう。


これはイギリス人を高く評価していた自分をだいぶ悲しませた。もちろん、多くは人間の身体、価値観は人それぞれ、私は私、あなたはあなた、個人の選択に基づいて行われるべきだ、という考え方で行動している、と私は感じているが、中にはやはり野暮な人間もいる。


ロンドンにもこんな恥ずかしい人間がいるんだなあ、と感じたと同時に、彼らの邪視の対象になってしまうことによってもさらにメンタルヘルスがやられてしまった。


そんなこんなでホメオパシーのコンサルテーションに申し込んで、そしてface covering exemptionのバッジもe-bayで購入した。


このバッジについては、そんなものつけなくてもこっちの人はわかってくれるだろう、と思っていたので手を出すのも馬鹿馬鹿しいと思っていたのだが、いよいよそんなことも言えなくなってきたので、落としてなくしても大丈夫なように幾つか購入した。


つけ始めると、あ、何か理由があってつけてないのだな、となるらしく、店員には優しく対応されるし、野暮な目線も受けなくなったし、ふむふむみんな目に見える印がないとわからない、想像力に欠ける人たちが多かったのだなぁ、と気がついた。


少し、イギリスにいる人たちをかいかぶっていたようだ。

それでもここは、おそらく他の国と比べて色々と良心的な抜け道が用意されているように思う。今のところ。


ここへ私を連れて来てくれた夫には本当に感謝している。


そして、そのバッジをつけ始めて少し考えが改まってきたことは、あ、そうか、この風邪をすごく怖がっている人も中にはいて、そういう人たちと平和的に同じ空間を共有するには、なるほど、このバッジは親切なものかもしれないなぁ、、、ということ。


あとは、何より、自分を嫌な物事から守ってあげるために、とても役に立っているなあ、、、ということ。目にわかる感じで、意思表示(理由表示?的なもの?)をすることは、時には役に立つのかなぁ。もう、自分はこうっす!ってやると、あ、そうなのね!って。


まあ、ちゃんとそういうのをシンプルに受け止めてくれるお国柄なのは、さすがだよね。


お読みいただきありがとうございました。後編へ続きます。今日はこの辺で失礼します。

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