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2020年10月2日金曜日

フランクフルトからブカレストまでの航空路。新型コロナウイルスが蔓延する最中の航空機での私の移動体験談その3


こんにちは、ぽんたです。

まだまだ新型コロナウイルスによるパンデミックが治らない中、先日ブラジルはフォルタレザからモルドバのキシナウまで航空機を乗り継ぎに乗り継いで、最後はブカレストからバスに乗って帰ってまいりました。

その旅路の様子を幾つかの投稿に分けて記録したいと思います。コロナ禍での国境をまたいだ移動はお勧めはしませんが、止むを得ず移動する方々へちょっとでも参考になれば、と思います。

その2はこちらから↩︎






フランクフルトからブカレストまでの航空路

新型コロナウイルスの治らないパンデミックにより、現在ブカレストからキシナウまでの航路は閉鎖されており、10月25日からしか再開しないとのことで、


それでもチケットを新しく買い直すよりかはTaromのオペレーションで行けるところまで行った方がものすごく経済的なので

(新型コロナウイルスのパンデミックによる航空機の混乱の為、Taromはチケットを購入した日から1年間追加料金なしで予約の変更が可能とのこと。おそらく他の航空会社もそんな感じなのかと思いますが、、、)


フランクフルトからブカレストまで飛んで、ブカレストからはバスでキシナウまで行くことに決定しました。


フランクフルトのターミナル1で(ターミナル2は閉鎖中でした。それくらい飛行機が飛んでない。)一夜を過ごし、お昼を過ごし、


夕方ようやくチェックインして荷物を預けます。


またもや、チェックインカウンターで最終目的地と婚姻証明書を入念に確認されました。今回はブカレストまでのチケットだけれども、もう飛行機が飛んでないからそこからバスでキシナウに向かう旨を説明し、


再び自転車のエクストラバゲージの料金を払い(くそ高え)、チケットを無事もらい出発ゲートへ。


そういえば、フォルタレザからの国内線とリオからアムステルダム経由フランクルトまでに使用した航空会社KLMは、チケットにグループが書かれていて、


グループ順にゲートにて呼ばれて機内に入るようにオーガナイズされており、機内でぐちゃぐちゃと人が混雑するのを多少緩和するようにされていました。


できる限りソーシャルディスタンスが取れるように工夫されているのかな、と感じました。


しかしながらTaromは気にしていないか、乗客数が少ないのかわかりませんが、グループに分けることなくわらわらと乗客が入場しました。


長い列を割と重めの機内に持ち込む荷物を背負って牛歩しなければならなかったので、


パンデミックが治まっても、グループを分けて乗客を機内に搭乗させることはあった方が良いシステムだとこのとき思いました。


その方がわざわざ立って長い列を待つ必要もないですし、機内でもぐちゃぐちゃしなくてスマートですし、、、。


さてブカレストに着いて、再びパスポートコントロールです。

今からバスでキシナウに向かうこと、二人は結婚していることを書類を持って説明しました。


すると今度は全員ではなく外国人の私のみが書く必要のある書類があるらしく、


それは今まで書かされた書類のようにどこの国を通ってきて、どの飛行機に乗って、発熱や咳くしゃみなどの症状があるかないか、そしてトランジットのためにルーマニアに来たなどを記入するものでした。


モルドバとの国境でルーマニアから出るときに指示があればこれを提出するように言われました。おそらく何も聞かれないと思うけど、とも言われました。



そういえば機内食、、、


そういえば、機内食がTaromの飛行機ではでませんでした。サンドイッチくらい出るかな、と期待していたのですが、、、。

フォルタレザからリオへの国内線でも水しか出ず、しかも何も言わなければ何もくれませんでした。


リオからアムステルダムへのKLMでは選択肢のない肉なしパスタの夕食と、あとお菓子や果物が入ったおやつパック(これは大サービスに感じました。)、そして朝食のクロワッサン1個が出ました。

見づらくてごめんなさい。。。機内で出たおやつパック。


どの航空会社も節約、節約、という感じを受けました。この時期やはり大変そうです。しかしこの時期にきちんとした対応ができるか、も今後の利用客獲得に大切だとも思います。


だって私はもうアエロビレットを使わないって決めたのですから、、、。あの対応は本当にひどい。




2020年9月30日水曜日

ブラジルのフォルタレザからリオデジャネイロ経由、アムステルダム、フランクフルトまでの航空路。新型コロナウイルスが蔓延する中での私の移動体験談その2


こんにちは、ぽんたです。

まだまだ新型コロナウイルスによるパンデミックが治らない中、先日ブラジルはフォルタレザからモルドバのキシナウまで航空機を乗り継ぎに乗り継いで、最後はブカレストからバスに乗って帰ってまいりました。

その旅路の様子を幾つかの投稿に分けて記録したいと思います。コロナ禍での国境をまたいだ移動はお勧めはしませんが、止むを得ず移動する方々へちょっとでも参考になれば、と思います。





目次


フォルタレザの空港からリオデジャネイロ

まず、本来ならばフォルタレザからアムステルダムへ直接飛べるはずだったのですが、新型コロナウイルスのパンデミックに伴い航空路線が大幅に運転を見合わせているようで、


フォルタレザから一切のエアフランスの航空路線撤退しています。ちなみに他の国際線も我々が行った当初は全く動いている気配がありませんでした。


国際線チェックインカウンターはがらんとしておりました。


10月に再開する予定だそうですが、詳しい日時は知りません。そのため、我々は一度ブラジルの首都、リオデジャネイロへ飛ばなくてはいけなくなりました。


チェックインの際は、英語ができる係員に手助けしてもらいながら入念に書類の確認をされました。

ここでいう書類というのは、我々が行く先々で入国を許可されるかのチェックでして、我々を大いに助けたのは婚姻証明書でした。


あと、我々のフライトスケジュールはキシナウまで一気に乗り継ぐのではなく、フランクフルトで一旦荷物を受け取る、という特殊なものであったため、


最終目的地であるキシナウまで行く、という意思表示をする必要がありました。


キシナウに家があるんだ、ということと、印刷してあったもう間に合わないチケットを見せることで意思表示をすることができたと同時に、飛行機のチケットがキャンセルになったり変更になったりしてこっちも大変なんだアピールをすることもできました。


夫はモルドバ人ですが、同時にルーマニア国籍も保持しているのでEU圏に入るのには問題はありません。


ところが嫁の私は日本人でヨーロッパのいかなる国にも居住許可を持っておらず、モルドバの居住許可証も先月期限が切れてしまいました。


パンデミックの前は日本人はシェンゲン協定国に入る際ビザの取得が免除されておりここまで厳重にチェックされることはありませんでしたが、


パンデミックの最中の移動はそう簡単にはいきません。


不要不急の移動は入国拒否される可能性が無きにしも非ずなのです。


そのため、その国に入国するには何か強い理由が必要となります。


幸い、我々はモルドバでの居住許可証を申請することをきっかけに、正式に夫婦として書類を作っていました。


もともと、結婚なんてただの紙切れ、婚姻届を出そうが出すまいが2人は一緒にいるのだから特に変わりはない、というような考えの二人でありました。


ただ、国籍が違ったものですから、居住許可を取得したり今後違う国に移住などする際に証明できる紙があった方が良いだろう、となり結婚したのであります。


その紙切れが今回本当に役に立ちました。


家族であることを客観的に証明できる書類を作成することは結構大切なことなのだな、と感じました。


二人が結婚していることで、入国が確実に許可されると判断されフォルタレザでのチェックインカウンターにて無事に荷物を預け、チケットを受け取ることができました。



リオデジャネイロでの乗り継ぎでは、フォルタレザと違い寒さを感じました。フォルタレザからリオデジャネイロへは国内線でしたので、荷物は受け取らないまでも、街中を散策できる可能性はありました。


飛行機を降りて出口を出て国際線の乗り場に行く際、タクシーの運転手さんがいましたが


私はフランクフルトからキシナウまでのフライトの調整をしなければならなかったため、


それどころではない、と結局リオの街へは繰り出しませんでした。


空港は古く薄暗い印象を受けました。


お昼を食べて、パスポ−トコントロールでも時間がかかるかもしれない、と早めにゲートへ向かいました。
リオでのランチ。なかなか美味だった。



というのも、我々の滞在日数は当に90日間を過ぎており、オーバーステイにもほどがあったからです。


我々は、カランティンの最中に滞在日数が切れており、ショッピングセンターの中にある移民局へショッピングセンターが再開した際行き観光ビザを延長できるかを確認したところ、


パンデミックが終わったら延長できます、とのことでした。(ちなみに夫はルーマニアのパスポートなのですが、ルーマニアのパスポートを持ったモルドバ人は観光ビザを延長できないみたいでした。この点につきましては、パンデミックに助けられた形となっています。)


パンデミックの最中は滞在日数の数え方が特殊になっているようで


私が移民局で認識した限りではパンデミックが続く限りオーバーステイにはならない、ということでしたが、


パスポートコントロールの人が同じ認識をしているとは限らないので、早めにパスポートコントロールへ向かったのであります。


結局パスポートコントロールでは、我々二人分のパスポートを持って担当の人が一旦奥へ確認しに行き、戻ってきて何も言わずスタンプを押し、ゴーサインが出ました。


みなさんパンデミックのせいで飛行機がすったもんだしているのをご存知のようで、何も問題なく出ることができました。


我々より少し前にロシアへ出国した知人は、再びブラジルに戻ってくるときは保険に入っている必要がある、と言われたそうです。


ちなみにその知人はPCR検査をフォルタレザで受けてから出発したそうで、ロシア入国には必要なのかもしれません。


アムステルダムの空港にて


アムステルダムの空港では、ただのトランジットなのにもかかわらずパスポートコントロールを通らなければいけませんでした。



一番最初のEU加盟国なのでパスポートコントロールが必要なのかなぁ、と思ったのですが、その後のフランクフルト、ルーマニアでも同様でした。


やはりパンデミックの最中ではシェンゲン協定国内でも国境がある様子が伺えました。


そこでも、古いチケットを見せ、最終目的地はキシナウであることと、飛行機が飛ばなくてこの日程では飛んでいないことと、婚姻していることを婚姻証明書で示して突破することができました。


リオデジャネイロにて飛行機に搭乗する際に渡された紙があって、それはオランダに入る際に必要な用紙で、内容は、発熱、咳、くしゃみなどの有無、フライト番号と座席、名前、などを記入させられました。


でも結局その用紙はどこにも提出しませんでした。トランジットだったからですかね。


チェックする警察もパンデミックで混乱しているのを毎日見ているのでしょうか、やんわりとした雰囲気で良い旅路をなんてねぎらいの言葉までかけてくれました。


アムステルダムの空港は本当に快適で、新しい図書館のような雰囲気があり、仮眠がとれるサンベッドのようなものもたくさんあって、


我々はラウンジでもないのに2時間ほど仮眠がとれました。本当に助かりました。

完全なる防護服を着た乗客がちらほら。マスク着用義務以上のことがある国があるらしい。


さすがアムステルダム。まじかっこいい。the time is now for gender equality.ってわざわざ空港の壁に書けます?これぞオランダ。まじで惚れる。



フランクフルトの空港にて

機内で渡された用紙にまた記入させられました。今度はドイツに提出する用の用紙で、オランダ用のものよりもより多くの情報を書き込む必要がありました。


パスポートナンバーやフライト番号、座席番号に加え、緊急時の連絡先、住所などなど書かされました。


しかしこれもまた、特に提出することなく過ぎました。


フランクフルトの空港に着くと、またもやパスポートコントロールを通らなければなりませんでした。


そういえば、アムステルダムに入る時にパスポートコントロールを通りましたが、出るときは通りませんでした。



フランクフルトでのパスポートコントロールでも同じように古い航空券と最終目的地、婚姻届を提示するとすんなり通過できました。


今、確認したところ、アムステルダムで押されたスタンプには入国を示すスタンプ、フランクフルトで押されたスタンプは出国を示すスタンプがなぜか押されていました。なんでだろう、、、?


フランクフルトでは、かなり精神的に喰らいました。フランクフルトからキシナウまでの航空券をなんとかしなければならなかったからです。



連絡を取っていたルーマニアの航空会社taromによると、taromの落ち度でフライトが変更になったわけではないため、



tarom以外の航空会社の運行する便にフライトを変更することは不可能で、しかも、現在ルーマニアのブカレストからモルドバのキシナウへ飛行機は飛んでいない、ということがわかりました。


つまり、フランクフルトからブカレストまでは飛べるが、そこから先の便はない、10月の25日からしか飛ばない、ということが発覚しました。


この時私は、フランクフルト空港内にエアモルドバのトラベルエージェンシーが、あるに違いない、と根拠のない自信をまだ持っており、


5万弱払うことになってしまうが、乗り継ぎなしで1本で帰れる、とたかをくくっておりました。


そのため空港内をうろうろし、探し歩き回りましたが、フランクフルト空港を牛耳っているのはルフトハンザで、それ以外は複数の航空会社を取り扱うチケット代理店で、しかもエアモルドバを扱っている代理店は見当たりません。



試しに一つの代理店に尋ねてみると、ミンスク経由で10万円が一番安い、と言われ、


ミンスクなんて今の時期情勢的に乗り継ぎでも何が起こるかわからないし、まず、そんな値段の航空券、買えない、、、となりました。


次に私が考えた案は、エアモルドバのウェブサイトからカードでチケットを買うこと。


調べてみると、ありました、三日後。3日間、フランクフルトのどこか空港に近いホテルに滞在し、


三日後にダイレクトの飛行機に乗って帰る、という案です。


費用はかさみますが、フランクフルトの街もぶらっとできるだろうし、ちゃんとベッドで寝れるだろうし、仕方がないかぁ、、、と思いチケットを買おうとしました。


しかし、私の持っているクレジットカードのセキュリティシステムに引っかかり、買えませんでした。

今思えば、あの時買えなくてよかった、無駄な出費をしなくてよかった、と思えますが、



その時は最後の砦がなくなった、と途方にくれ、フォルタレザに1ヶ月残ってもう少し働いていればよかった、、、と本当に後悔しました。


エアフランスに電話した時に、急がないで、慌てないでtaromからの連絡を待ってすべての情報を整理してから考えればよかった、と深く後悔しました。


結局帰れた今は、ああ、あの時出発して逆によかったのかもしれないなーとか思えますが、


フランクフルトでのあの瞬間は、長旅の疲れもあるしどうしたら良いかわからず、本当に後悔してしょげてしまいました。


独身時代の私は多分数時間は立ち直れずにただただ途方にくれていた気がします。


ただ、今回は夫がそばにいたため、そしてずーっと横にちょこんといた夫が、傍で涙する嫁を見て、どうしたもんか、と頭を巡らせ、


実は最初に荷物が多くて無理だと消去したブカレストからバスでキシナウまで帰る案を再度選択肢に上げ、おそらくこれが今のベストの選択肢だと決断を下しました。



それを受け嫁はtaromへ翌日のブカレストまでのチケットの予約をしてもらえるようにメールをしたのであります。


ただ、営業時間がすでに過ぎていたため、返事は翌日、フライト予定日の当日になります。


祈るようにフランクフルトの空港のベンチでその日の夜を過ごし、翌日の日中も過ごしたのでありました。


そして、翌日のお昼頃、チケット取れたよ、と連絡が来て、その日の夜のフライトでブカレストへ向かったのでした。
フランクフルトの空港の虹。この時、ちゃんと家まで帰れる、と思った。




考察

この時期のフライトはキャンセルや変更になることが日常茶飯事のため、こまめにチェックすることが必要です。


乗り継ぎがある場合は分割しないでなるべく1回のオペレーションで最終目的地まで予約することが無難だと思いました。


そして、アエロビレットは使わない方が良いです。フライトの変更が多いこの時期チケットがパアになる可能性があります。



信用できる航空会社、および代理店からチケットを購入する必要があると思われます。


居住許可証を持たない国に観光目的で入るのは新型コロナウイルスのパンデミックの時期は非常に難しいと思います。


仕事や留学、配偶者の元へ行くなど、何か強い理由と、それを証明する手立てがない限り、トランジットでも入国を拒否される可能性があるのではないか、と感じました。


また、それを証明する書類を手荷物に持っておく必要があります。






2020年新型コロナウイルスが蔓延する最中の航空機での私の移動体験談まとめ

フランクフルトの空港に出た虹

こんにちは、ぽんたです。

まだまだ新型コロナウイルスによるパンデミックが治らない中、先日ブラジルはフォルタレザからモルドバのキシナウまで航空機を乗り継ぎに乗り継いで、最後はブカレストからバスに乗って帰ってまいりました。


その旅路の様子を幾つかの投稿に分けて記録したいと思います。コロナ禍での国境をまたいだ移動はお勧めはしませんが、止むを得ず移動する方々へちょっとでも参考になれば、と思います。


  1. 相次ぐフライトのキャンセルとすったもんだ。
  2. ブラジルのフォルタレザからリオデジャネイロ経由、アムステルダム、フランクフルトまでの航空路
  3. フランクフルトからブカレストまで航空路
  4. ブカレストからキシナウまでバス移動



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相次ぐフライトのキャンセルとすったもんだ。新型コロナウイルスが蔓延する最中の航空機での私の移動体験談その1


こんにちは、ぽんたです。

まだまだ新型コロナウイルスによるパンデミックが治らない中、先日ブラジルはフォルタレザからモルドバのキシナウまで航空機を乗り継ぎに乗り継いで、最後はブカレストからバスに乗って帰ってまいりました。

その旅路の様子を幾つかの投稿に分けて記録したいと思います。コロナ禍での国境をまたいだ移動はお勧めはしませんが、止むを得ず移動する方々へちょっとでも参考になれば、と思います。



フォルタレザの空港までの道中


まず、我々夫婦の状況の説明を試みますとブラジルのフォルタレザから2020年の5月にモルドバのキシナウに飛ぶ予定でした。


チケットは節約のためか(結局エクストラバゲージのため節約にはなっていないのですが)フォルタレザからフランクフルトまで、そしてその後一旦荷物を全部受け取って再度チェックインしフランクフルトからキシナウまで、という予定でした。



じっくり考えてみると、ベストな航路ではないのですが、サーカスのオーナーと我々に仕事を分けてくれる夫の友人との間でそのように話をつけていたので従うしかありません。



第一のパンデミックによる波紋


まだフォルタレザからフランクフルトまでのチケットしかとっていなかった4月に、エアフランスから飛行機がキャンセルされたの連絡がメールで来ました。


ちょうど新型コロナウイルスのパンデミックによってロックダウン、都市封鎖を敢行したり国境を閉じる国が出てきた時期で、我々のフライトにも影響が出たのです。



当時我々もカランティンと言って必要最低限以外の外出が禁止されていた時期でした。




航空機のキャンセルの連絡はポルトガル語で書かれていたのでサーカスのオーナーに内容を見せ、エアフランスに電話をしてもらい飛行機のチケットを予約し直しました。



9月の下旬ならさすがにもとどおりになっているかな、と考え、9月の下旬までフォルタレザにとどまることにしました。


きっと6月くらいから仕事が元に戻るだろう、、、という甘い考えのもと、、、



そして第2波、第3波


そして、結局サーカスは9月から再開することに。もう少し止まって仕事してから帰るという選択肢もあったのですが、夫がまだ仮免状態でその期限が迫っているので帰国することに。


そして8月にフランクフルトからキシナウまでの残りのフライトをアエロビレットというトルコの会社のページから予約しました。


最初は、ブカレスト経由のチケットだったのですが、コロナ禍で予約した便がキャンセルになり、自動的に1つ前の日のフライトに予約し直されたとの連絡が数日後に来ました。


しかしながら新しく予約された時間には我々はまだフランクフルトに到着していない予定です。なのですぐアエロビレットにその旨をメールで連絡しました。


その時にトルコ語で書けばまた違ったのかもしれませんが、フライトの変更メールが英語だったのでオペレーターも外国人かもしれないと思い英語で書きました。


すると、全く話が通じず、これがあなたの新しいフライトです、の一点張りで、3日間粘りましたが問題を全く解決してくれないので、直接予約した飛行機を飛ばすtaromという航空会社のブカレストにある支店に連絡をしました。


するとtaromのそのエージェンシーの人はきちんと、挨拶と名前とお詫びの言葉を添えた文面で返してくれ問題を一発で解決してくれました。


もうアエロビレットは使わない、と心に誓いました。口コミを調べてみると、アエロビレットはチケットをキャンセルしても返すべきお金を返金しない、といった最悪なクチコミがバンバン出てきました。


このコロナ禍でフライト変更が日常茶飯事になる中、本当に危険なチケット予約サイトだと思います。みなさんも絶対に使わないでくださいねaerobiletを、特にこの時期は、、、!


ただ、どの会社がどの飛行機をどれくらいの値段で飛ばしているかをチェックするには良いサイトだと思います。航空会社がわかったら、直接その航空会社からかうのが良いのではないか、と思います。


ま、私はクレジットカードにブロックがかかっちゃっていつも買えないんですけれどもね。。。


taromによると、このパンデミックの最中のフライトは1度チケットを予約したその日から1年間追加料金なしで変更が可能、とのことでした。


taromによってフライトの変更やキャンセルが必要になった場合は、同じ目的地に行く他の航空会社のフライトスケジュールも含めてチケットの変更が可能ですが、


tarom以外の航空会社や我々の都合によって変更が必要な場合は、taromが飛ばしている飛行機でしか変更ができないそうです。




そしてフライト当日


来るフライト予定日、サーカスのみんなとお別れを言って荷物をまとめて、面倒見ていた犬とも心を痛ませつつお別れして空港に着くと、



インターナショナルのカウンターに誰もおらず。


インフォメーションデスクにも人がおらず、、、あれ、ちょっと嫌な予感が、、、


ウロウロして結局国内線のとある会社の人に印刷したeチケットを見せると、エアフランスは今フォルタレザの空港では取り扱われていないとのこと、、、


つまり、我々のフライトは飛ばないどころかそもそもない!という事態に見舞われました。


その親切な会社の人たちは確認してくれたところ、エアフランスは10月からフォルタレザの空港では再開することと、エアフランスの電話連絡先をくれ、フリーwifiを使ってサーカスに連絡し、迎えに来てもらいました。


5月のフライトを変更して以来、エアフランスからのメールをほぼ毎日のようにチェックしていたのにフライトがキャンセルされたなんて連絡がなかった旨をサーカスのオーナーに伝え、



その日は営業時間がもう過ぎていたため翌日、エアフランスのブラジルの支店に電話してもらいました。オペレーターが英語が話せるとのことでその後は私が頭を抱えつつフライトの再予約をしました。フライトは、電話した日の翌日に決まりました。



taromのエージェンシーにもメールで急いで連絡しましたが、時差があるためなかなかスムーズにいかず、トランジットの合間合間にやりとりをすれば間に合うだろう、なんとかなるだろう、といった感じで再びフライトへの準備をしなおした、といった感じでした。


結局キシナウについてからゆっくりメールを確認したところ、エアフランスと共同でフォルタレザから飛行機を運営しているKLMから1つ目のフライトがキャンセルされたとの連絡が7月に入っており、



エアフランスから連絡がくるなら来ると思っている私はスルーしてしまっていたのでありました。それでも、自分の落ち度とは認めません。余計な出費にならないためにも、そしてエアフランスを通じて航空チケットを変更したのですから、エアフランスからも連絡が来るべきなのだ、というロジックを押し通します。



たとえエアフランスから連絡が来ていたとしても今回の場合、電話で変更したのだから電話で連絡をするべきだ、とかなんとか言って私は自分の非を認めなかったでしょうけれども。



サーカスも我々もコロナウイルスによって大打撃を受けておりますのでね、経済的に。


アエロビレットの対応の仕方については怒りが爆発しましたが、他の航空会社の人たちとのやりとりは極めて温和にしました。


だって目の前で解決しようと動いてくれている人たちにはなんの非もありませんから。


パンデミックによって予測不能な時期になり、国家間の決定に振り回され、乗客の対処に追われて航空会社は今間違いなく大打撃を受けていると思いますし、


問題やフラストレーションを抱えた顧客と毎回やりとりをしなければいけないオペレーターは、電話口で全く自分のせいではないのに、この度はこのようなことになり大変申し訳ございません、と言わなければならず、本当にヒステリックになってしまうと思います。
 





2020年6月11日木曜日

ヨーロッパ大陸圏の治安。ジプシーに対する注意喚起。(ヨーロッパ以外もちらほら)

こんにちは、ぽんたです。

今日のフォルタレザは雨です。本当は再開したショッピングセンターに歩いて行こうと思っていたのですが、雨のためブログを書く日にしようと思い、書いております。



今私がいるのはブラジルですが、かねてより皆様への私の実体験を元に注意喚起として書きたかったジプシーについて書いてみようと思います。


向かい側の丘がジプシーの集落。クシャダス


昨今ではblack lives matterなど人種差別についての話題が注目を集めております。そんな中、ジプシーについて注意喚起するというのは、まるで人種差別を助長するかのように思えます。


ジプシーは、ロマ、ロミ、ロムはたまた放浪者といったような様々な民族の総称だそうです。彼らは長年差別を受け地元民方虐げられてきた歴史があります。


ですが、トルコに5年住み、ドイツにもちょこちょこ訪ね、モルドバで2年弱過ごし、キエフも少し滞在したことがある私が実際見たこと、被害にあったこと、から推測するに


地元民もジプシーと称される団体から何かしら被害を被ったり、嫌な思いをしたり、困ったことがあるからこその反応なのではないか、と推測しております。


すべてのジプシーに属する人々が非社会的な行動をとるとは、申しておりません。しかしながら、日本ではなかなか見られない光景に、どう対処したらよいかわからず、被害にあってしまったり嫌な思いをする方が今後も発生するのではないか、と思い


今回このように注意喚起として記事を作ろうと思っております。なので、この記事を元に過激な思想へ走るのではなく、あくまでも旅行中に嫌な思いをしないようにお読みいただければ、と思います。




実際に私が経験したこと


ドイツはベルリンにて

ドイツでは物乞いが禁止されているらしく、でもストリートパフォーマンスはオッケーらしいです。ベルリンでのジプシーは進化しているというか、手口が巧妙になってきます。


一つは、電車の中に三人くらいのミュージシャンとして入ってきます。結構大きい音量でノリのよい音楽に旅行者の私は一人浮かれてそっちの方へ寄って行ってしまいました。しかし、現地の方々は彼らに目もくれず、冷ややかな空気が流れておりました。

それもそのはず、彼らは実際に演奏してはおらず、楽器は持っているものの、演奏しているふりをして実際はスピーカーから音楽が流れており、ニコニコしながらお金をせびるのです。収穫がないと次の駅ではさっさと降りて行きました。観光客は彼らの良いカモになると思います。



2つ目は、三人くらいの老婆たちがろう者の団体が署名活動をしている程でドネーションを強要してきます。これは本当に巧妙で人の善意につけ込んでおり、耳が聞こえないふりをしてカモ(私のような外国人)に近づいていきます。

そして、署名活動をしていると、彼女たちの持っているバインダーに挟まった用紙に名前と住所を書くように頼まれます。こちらは、善意で書き始めます。すると、名前と住所の欄の次はドネーションの蘭があります。

他の署名をした人の欄には同じ筆跡で10ユーロと書かれており、みんな10は渡していますアピールがなされています。ちょうどその欄に私がさしかかった時、ドイツ人の正義感の強い男性が道路の反対側から英語で「レディ!!彼らに金を渡すな!彼らはこの街の問題だ!!」と大声で叫びました。

そこで、私はカモられていた頃に気づき、2ユーロだけ渡して逃げました。老婆は「テン!テン!!」(10くれ10くれ!!)と言っていましたが、「ノー」って言って、立ち去りました。ドイツのジプシーはトルコよりすごい知恵が回っているなーと、思いました。だって彼らはパソコンを使って署名活動をしている旨と、表を作成し、プリントアウトしてバインダーに挟んでいたのですから。笑。



トルコにて

トルコに限らないのですが、各地にジプシーの集落があります。地元の人はまず近づきません。私はアンタリヤで一人でうろうろしていてそこの集落を通ってしまったことがありました、運良く何も起こりませんでしたが、家の様子が掘建小屋になり、かなりジロジロ見られたので変だなぁ、と思っておりましたが、後で友人に外国人は下手にうろうろすんな!と怒られました。笑。

クシャダスでは、当時の彼(サーカスアーティストで屈強な体)がどうしてもあの像の立っている小高い丘のてっぺんに登りたい、と言い、私はそこはジプシーの集落だから行きたくない、と言って止めたのですが、もう一人の友人(ズンバインストラクターこれまたムキムキな体)と一緒なら大丈夫だ、という主張のもと、行くことになりました。


案の定道中子供数人に絡まれ、ガイドしてあげるとついてこられ、ガイドしてくれたものの金をせびられました。そのうちの一人は子供の頃からものすごく性的なことに興味を持っており、脳みそが破壊されて育てられている印象を受けました。


丘のてっぺんには何かの薬物を使用していそうな男性二人が絡んでこようとしてきたのですが、二人の屈強な男を見てか、手出しはしてきませんでした。しかしながら緊張感はありました。

カフェなどでも子供が物乞いをしに来ることは珍しくありません。でもそのお金は親が搾取しその子供が教育を受けられる、空腹が満たされるということにはならないのだろうと思います。なけなしのお金でドラッグを買ってしまうこともあるので、私は物乞いにはお金をあげないようにしています。


モルドバはキシナウにて

まず、モルドバにはかなりの数のジプシーが住んでいます。地方の町にはキングがいてその町全体がもはや彼らの国です。首都キシナウでは夏場中央公園に座っていると、十分に一人は物乞いが「お恵みを。子供にパンを買うために」などとお金をせびってきてのんびりコーヒーを飲むことさえできません。


中央公園ではナンパしてくる輩もいます。逆にチョコレートもらったこともあります。そのあと子供の物乞いにあげましたが。バイオリン弾きにはわざわざあなたのために弾いていますと言われることもあり、気持ち悪い、本当に落ち着いてコーヒーを飲めません。


本当に貧困からそのようにしている人もいるのかもしれませんが、あげたお金でアルコールやドラッグを買われるよりかは、心を鬼して何も渡さないか、小さいチョコレートでも常備しておいたら良いのではないか、と思います。


夏場は、地元に元々いる物乞いのほか、イタリア語を喋る団体も流れ込んできます。彼らはわざと人をイラつかせ挑発し事を大きくさせ嘘の障害者手帳をちらつかせ脅してきます。あーこのことについての実体験は書きたくありません。笑。




とにかくレジをわざと長引かせたり何か挑発するような事をしてくる人がいても、近づかない、下手に反応しないことが無難です。私は今後一切挑発には乗らない、と心に決めました。キシナウは、本当にひどいです。レジ前で品物を片手に物乞いをするおばあさんも毎日いますし、レジで問題を起こして警備員を呼び、最終的にただでタバコをもらうような輩もいます。


善良な市民は困っています。善良な市民もちゃんといるのですが、ジプシーの割合がとても多いので、私はモルドバにはもう住みたくありません。あんなに素材は良い国なのに、残念極まりない。


ウクライナはキエフにて

これについては他の記事にて書いてありますので、こちらを参照してください。ウクライナのキエフ6日間滞在報告。実体験に基づくスリへの注意喚起。

トラブルに巻き込まれないための対策

偏見を持つのは良くないのですが、でも、日本には滅多にない光景に日本の感覚で挑んでしまうと良いカモになったり、嫌な思いをしてしまうことがあるので私は対策として以下のことを提案したいと思います。

  • 性善説ではなく、性悪説が適応される人間もいるということを理解する。(まず、話せばわかる、ということが通用しない人間もいるということを理解しましょう。根本的に脳の機能の仕方が違う人間もいるようなのですこの地球には。)

  • 自分の罪悪感に負けない。(物乞いにお金を渡さない。彼らにはボスがいて、渡したお金は目の前にいる人を救うことにはならないことが多い。そのお金でアルコールやドラッグを買っていることもしばしば。もしも何かしたいなら、りんごやチョコレートなど、彼らがその場で食べられるものを渡す。)

  • 挑発に乗らない。(挑発に乗れば、相手の思うツボです。戦争もそうやって起こってしまうのだと思います。問題に自分から巻き込まれていかない。)

  • 危ないところには近づかない。(おかしい人がいるな、と思ったらまず近づかない。)

  • ある程度の警戒心を常に持つ。(人を信用しない。貴重品の管理。)


最後に

こんな感じでしょうか。最後に、私はジプシー=悪と言っているのではなく、これまで私が嫌な思いを被ってきたことの大半はそのように呼ばれる人たちが絡んでいますよ、ということで、注意してください、ということです。彼らを迫害することに賛成しているわけでは決してなく、それでも彼らにもより良い方法で教育が行き届いて欲しい、道徳心が身につくような文化になって欲しいなあ、と願っている次第でございます。




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2020年1月16日木曜日

その2〜列車とホームに挟まれた男〜記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズ

こんにちは。ぽんたです。

記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズ第二弾です。


第1弾では、キシナウからイスタンブール経由でハンノーバー空港まで行き、そこで親切なおじさまの手を借りてなんとか列車の切符を買い、ハンノーバー中央駅で乗り換えるところまで記憶を辿って綴りました。

今回の投稿はその続きです。


その親切な男性は、荷物を運ぶのまで手伝ってくれ、電車が少々遅れたため短くなった乗り換えもなんとか間に合った。

キャリーバックもリュックも列車に乗せたし、あとは自転車用のでかいダンボール箱だけ、と息をつこうとしたとき、


ドサッ!!と音がした。


何事かと思って振り返ると、私の夫が列車とホームの隙間にダンボール箱を掲げた状態で仁王立ちしている。


どうやら箱で列車とホームの間の隙間が確認できず、落ちたらしい。


その場に居合わせた通行人も大丈夫?!といった感じだ。


しかもどうやったら片足だけでなく2つの足いっぺんに列車とホームの間に立てるのだ?


一番本人がびっくりしていて、夫はいささかパニック状態になっており、すぐさま這い上がって列車に乗ったものの、後に続く乗客全員の荷物を運ぶのを何故か「手伝いましょうか?手伝いましょうか?」と手助けし、それが終わってから改めて


「めっちゃ痛いいいい」とうずくまるのであった。


どうやら両スネを列車の入り口のせり出ている部分に打撲&擦りむきながら落下したらしい。


ジーンズにも血が染みている。


スネの傷は自転車トライアルでは日常茶飯事であるとはいえ、さすがに今回は痛そうだ。


骨折や捻挫などをしなかったのは不幸中の幸いで、契約のために、金稼ぎのためにはるばる来て、その移動途中に骨折なんてしたらたまったもんじゃない。


これだけですんで良かった、と言いつつも、急いでいても、焦らずに足元はよく注意しなければいけないね、と言うしかなかった。


とまあ、気をつけていても、大きな怪我は予期せぬところか降り注いでくるもので、この契約中でも、とある女性アーティストがトレーニング中に落ちそうになったダンベルを取ろうとして小指を骨折した。(それでもステージに立ち続け、契約期間を終えた。)


サーカスアーティストは、怪我が付き物ではある職業なのだが、大抵の場合、すぐに代役を立てることは難しい。


その日にもうショーがあるからだ。なので、私も右膝を捻挫しながらポールダンスのナンバーや夫のアシスタント(そのナンバーは不幸にも私のダンスパートが結構あった)をやったこともあるし、


マメがズル剥けていてもポールをつかまなくてはいけない時もあった。


もちろんソロの場合、技などは変えれるのだが、自分の持ち時間は何かやらなくてはならない。ショービジネスなので、プロ野球のようにピッチャーの肩の消耗なんて考えてはくれない世界なのだ。


それに、3日探せば変わりはいくらでもいるような世界でもあり、私のようなB級アーティストは必死に仕事にしがみついて自分のあた得られたポジションにしがみつかなければ食べてはいけないのである。

(そういえば、胃腸炎で熱が38度あった時もやらされたな、、、これはさすがにキツかった。)


話を元に戻す。


ハンノーバー中央駅からオスナブリュックまでは、なんだか特急列車のようだった。チケットもなかなかの値段で、日本でいう新幹線だったのかもしれない。(もちろん新幹線の方が何倍も綺麗)


ここでは、女性の車掌さんがチケットを確認しにくる。なので今回はオスナブリュックまで何駅が聞くことができ、無事にオスナブリュック中央駅に到着できた。


さて、これからが問題だ。事前にオフラインでも使える地図をダウンロードしておいたものの、夜になって真っ暗なので方向がよくわからない。


もっと栄えている街を想像していたのだが、埼玉でいうと桶川くらいで、駅の周りにこれといった目印が見当たらない。


交番のお巡りさんを見つけたので、最初の方角はわかり、少し不安ではあるが頑張ってサーカスまで到達しなければならない。


住宅街の方に大荷物を抱えた2人がゾロゾロゴロゴロ行く。


マリファナの匂いがするたびに2人でニヤニヤする。


タクシーを捕まえればいいのだろうが、2人とも異国の地のタクシーに乗る気にはなれず、(ぼったくられたら嫌なので)


綺麗なクリスマスの飾りつけのなされた大きい家たちを横目に移動する。


二十分ほど歩いて、やっとサーカスRに着いた!


着いたはいいが、自分たちのキャラバンを見つけるのに時間がかかり、見つけたもののそこには自分たちの大道具のパーツがあり、

電気を接続しなければならず、

自分たちがつきましたよ、と知らせねばならなかったりと、着いてからもすぐにはねれない。


しかも、キシナウの家を朝6時に出発して、ドイツの現地時間夜9時すぎに目的地に着き、お腹も空いてヘトヘトで、でもドイツのスーパーは閉まるのが早く、もう間に合わない。


なんとか頑張るけど、2人もこの大荷物の移動に相当疲れているので痴話喧嘩が多くなる。


明日は私の就労ビザのアポイントがあるのに、集合時間と場所がわからない。というのも我々はこの異国の地ですべてのネットワークから圏外である。


まずは、ステージを作っているテントへ行き、主要人物とのコンタクトを試みる。


テントの中はまだ照明チームが作業をしていて、自己紹介をしつつ、明日のことを誰に聞けばいいのか尋ねてみる。


みんな人ごとにしないで、誰か呼んできてくれた。それはプロダクションの長の双子の兄弟だった。


それで、今から自分の兄弟を呼ぶからここで待ってて、と言われ、待っていると同じ顔が来た。


背が高くてイケメンだ。30代半ばくらい。私はほんのり恋心を感じつつ、結婚するの早かったかなあ、でも夫がいなかったらここに来れてないしなあ、と思いを巡らし明日に備えて休むのであった。

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    2020年1月15日水曜日

    記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズまとめ


    記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズ。


    ライトアップがディズニーランド級なオスナブリュックのとあるレストラン


    2019年のクリスマスから2020年を迎えるまでの期間、ドイツはオスナブリュックにて働いておりました。その時の記憶を綴ってまいります。


    その1 〜キシナウからハンノーヴァーへ飛んだ日〜

    その2 〜列車とホームに挟まれた男〜 






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    記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズ。その1〜キシナウからハンノーヴァーへ飛んだ日〜

    こんにちは、ぽんたです。


    自転車野郎の下敷きになる仕事



    長らく投稿が途絶えていましたが、なんと6ヶ月ぶりの本職での仕事でドイツに行っておりまして、今はキシナウに戻り1週間ほどたちましたがやっと投稿を作成する気になりましたので、ドイツでの年越しの様子を記憶日記として綴っていきたいと思います。


    それでは、記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスR(イニシャル)での年越し。」シリーズ。その1〜キシナウからハンノーヴァーへ飛んだ日〜 どうぞ。


    朝6時。深い霧が立ち込める中、大荷物を持った若い男女が家の前に立っている。この夜逃げでもするのかと思われてもおかしくない大荷物で道路際に佇んでいるのは私ぽんたと、その夫なのであるが我々は夜逃げをするのではなく、空港へ行くべくタクシーを待っているのである。



    1台のタクシーが我々の2件先に停る。小さいタクシーだ。我々が頼んだのは大荷物用のタクシーなので、どうやらこんなに朝早くから同じ日にタクシーで移動する人がもう1人同じ通りにいるらしい。



    我々が呼んだタクシーが来る。自転車の入った大きなダンボールとつぎはぎのある布製のキャリーバック2つ、石でも入れたのかと思うくらいのリュックサックを2つ積み、空港へと向かう。



    この、合計5つの我々の移動セットは我々の移動には付き物で、中身は自転車、及びその予備パーツ、衣装、練習用の道具など主に仕事に必要なもの、そして電気コンロを含む生活に必要なものが大部分を占めており、



    こんなに大荷物で来た割には、あれ、毎日同じ服来てない?と周りから思われても仕方ない感じになるのはもう気にしなくなった。



    それでもたまにおしゃれしたくなる衝動にも駆られるが、ステージの上で綺麗な衣装でメイクアップすることでだいぶ解消される。




    空港に着いた。180レイだかなんだかを払う。我々の移動の仕方は夫が私のクソ重いリュックを背負い、大きなダンボール箱をアリの様に担ぎ、嫁は夫の軽めのリュックを背負い、2つのキャリーバックを両手に大胸筋、上腕三頭筋を固めながらゴロゴロ着いていく。



    キシナウの空港は幸いにも小さく、入り口を入ればすぐにカウンターがこじんまりと並んでいるためあくせくする必要がない。



    我々は早めに来たのでカウンターが開くまで30分ほどある。夫は私よりも心配性なのでもっと早めに着く様な計画をするタイプなのだが、
    さすがに私が起きれないので30分遅くしても余裕だと説得して丁度よかった。



    カウンターが開き、我々の番が来る。今回我々をキャスティングしてくれたサーカスR(イニシャル)は、ドイツでは割と有名なサーカスで歴史もある。会社としても大きく、プロダクションもファミリー経営のサーカスとは違い、しっかりしている。



    飛行機のチケットも往復買ってくれるサーカスは少ない。でもこのサーカスRは往復の飛行機チケット、そして自転車の積荷代まで払ってくれるというのである。



    とても好印象である。そして彼らが連絡してきたことは、自転車の荷物分予約はしたのだが支払いはカウンターだということなので、立て替えておいてくれ、とのことだった。



    なので、我々は自転車分払う準備をしていたのだが、トルコ航空のキシナウ空港のお姉さんは独自の解釈とやり方で何故か自転車の分のお金を取ることなく我々の荷物を預かった。


    我々はスポーツ用品はタダなのかなあ?など、得をした気分でパスポートコントロールを通るのだが、これが結局帰りに自腹を切らなければならなくなるとはこれっぽっちも思っちゃいなかった。




    さて、我々の今回の旅路は、モルドバのキシナウからトルコのイスタンブールで乗り換え、ドイツのハンノーバーに行き、そこから列車でオスナブリュックに行くというものだったのだが、


    まず、私のわくわくポイントは、トルコ航空であること、イスタンブールで待ち時間があるということであった。



    何故トルコ航空が嬉しいのかというと、機内食が美味しく、食後のお茶またはコーヒーも出してくれるところである。


    キシナウからイスタンブールまでの短い時間でさえも美味しいサンドイッチとデザートをつけてくれるのである。



    イスタンブール空港では、コーヒー屋さんでトルコ語でやり取りをして買うのが私の楽しみで、やはり、せっかく自分が習得した言語を使う機会、そして空港内だけではあるものの、トルコの空気を感じられることが私の小さな幸せだったりするのだ。



    そんな幸せなトルコ航空での旅路を経て、いよいよドイツ入りの時である。


    我々は、サーカスRから荷物が少ないとみなされ、列車のチケット代払うから自分たちで来てくれ、と2日前に言われた。


    グーグルマップに聞いてみると、ハンノーバーからオスナブリュックまで、直の列車がない。


    私の想像の中ではインフォメーションデスクが空港にも駅にもある予定だったのに、いざ蓋を開けたら、あれ?結構閑散としている。。。



    インフォメーションデスクに聞き(トルコ語のわかるお姉さんだった)ざっくりした説明を受け、列車の駅にたどり着くも、切符の買い方が複雑すぎた。



    英語を選択するも、わけがわからない。何段階も何かを選択しなければならず、結局人に聞いてみることにした。



    こんな時、夫は語学に自信がないので自分では聞かない。「あの人に聞けば?」「この人に聞けば?」と指示をするだけである。


    私だってドイツ語は知らないし、フランクフルトで味わったドイツ人の冷たさがトラウマで、なかなか声をかけられない。でも駅にはインフォメーションデスクがない。駅員さんも見当たらない。

    「あんたが聞いてよ」


    「君の方が英語わかるだろ」


    と少しぐちぐちしたのち、やっと一人の初老の男性に声をかけれた。


    すみません、オスナブリュックまでの切符の買い方教えていただけませんか?


    と、冷たい対応にも耐えられるようにメンタルを準備して聞いてみた。


    その複雑な機械に集中していた男性は、ちょっと待ってまず自分の買うから、とし、(やはり現地の人にもその切符売りの機械は難しいようだ。)


    その後、丁寧に我々2人分の切符を買うのを手伝ってくれた。


    それだけで十分だったのに、私が日本から来たことを知ったからなのか、何十年前に日本を旅した経験があったその男性は、自分もハンノーバーの乗り換えのところまで一緒だからと、荷物まで運ぶのを手伝ってくれ、引率してくれたのだ。



    ドイツ人のイメージがフランクフルトで味わった冷たさにだいぶ影響されていたのだが、どうやらそれはフランクフルトならではの光景だったようで、


    その後のクリスマーケットでもスーパーマーケットでもカフェでも、ドイツ語がわからないからといって何かあしらわれるような対応をされることは一切なく、感銘を覚えるほどだった。



    乗り換えまで手伝ってくれたその男性には、何かお礼がしたいと思い、去年ドイツで買った私の電話番号を2人名刺に買いて、もしオスナブリュックにこの期間までに来る予定があったら、ショーに招待するから連絡してくれ、と渡してみた。



    男性はなんだか子供に戻ったように、喜んでくれた。


    が、しかし、その電話番号はもう使えなくなっており、フェスブックでその男性の名前を探してみるものの同姓同名がだだおり、未だにその男性とは連絡が取れていない。。。


    もし電話かけてたらどうしよう、、、という心配もあるが、その名刺には我々のもうありとあらゆる連絡先が書いてあるので、それでも連絡がないということはきっと、おじさんの予定が合わなかっただけだということを願わんばかりである。


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