2020年1月30日木曜日

近況報告シリーズまとめ(-2022)





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    2020年1月30日現在のぽんたの心境と近況報告。〜雪がまだ降らないモルドバの風の日〜

    こんにちは、ぽんたです。


    ドイツでの年越し日記シリーズを書き始めて、まだその2にまでしか書いていないところで、しかもそれは1日目の移動の部分を書き記したところまでで、投稿が滞ってしまいました。(肝心の年越しまで全然行き着いてない。)


    なぜかというと、頭の中がそれどころではなくなってしまったのです。


    そしてもう気持ちが過去の思い出ではなく次の行き先に行ってしまっているのでその日記シリーズの続きは書く気はないのです。(無責任にも、、)



    最後の投稿から、

    イギリスでの仕事の契約が浮上し、イギリス大使館に問い合わせてみたり、ウクライナのキエフに一人で勝手に合宿しにく予定をたてそして実際に行ったり、衣装のコンセプトコンセプトイメージを考えて衣装さんのところに行ったり、、、と


    なんだか頭の中が忙しくなってしまったのです。(そもそも朝起きるのが遅すぎるのもあるのですが。だって朝はやはりどうしてもすっきりしないんだもの。)


    ブログを始めた時は結構暇を持て余していて、頭の中にも何もプロジェクトのようなことがなくて、そのため自分で勝手にプロジェクトを課して何か投稿していたのですが、


    全くその気力がなくなってしまい、ブログを書き続けるということもなかなか大変なんだなあ、と実感しました。


    結局、イギリスでの仕事の話は、夫の自動車免許が間に合わなさそうなので流れてしまい、(そもそも自腹でやらなければいけないビザが高いし、イギリスのくせにそんなに給料が高くないし、車もキャラバンも自持ちのものを用意しなければならないなど、


    あんまりwin-winな感じではなかったので、無理しないで良かったのかもしれません。)


    今は、そのあとに浮上してきたブラジルでの仕事に向けて夫婦共々少々焦っている状態です。


    夫は、教習所を卒業できたものの、学科試験の予約ができる日がもう出発の日以降で、卒業後1年以内に試験を受ければ良いものの、果たして運転免許が取れるのは一体いつになるのだろうかといささか心配ではあります。


    夫はあまり先を見通して逆算して計画をたてないタイプなので(ある程度離れた先のことになると急に考えることをやめるのです。多分、自分が生きているのかも死んでいるのかもわからない先のことは考えても無駄という論理があるのかもしれませんが、そういう人に限ってたいていの場合1年後も生きている気がします。)


    1年も仮免の期限があるからといってのんびり構えていて結局、クリスマスの仕事だのなんだのあって間に合わないのではないかと心配なのです。


    心配なのであーだこーだ言っても、わけのわからないことを言い返してきて、え、話ずれてるんだけど、なんか喧嘩になっっちゃったし、となるのです。


    自分の思ってることをたとえ話がずれていても何でもかんでも言い返してくるので、いちいち反応しているとわけがわからなくなるのです。なので最近は話がずれる前に修正しながら口論を進めるようにしています。


    そして、先週はお隣の国ウクライナのキエフに勝手に合宿に行ってきました。


    キエフでの1枚


    教習所に通う夫をモルドバに残し、離れるのは寂しいけど私はトレーニングしてくるんだ!と言って、1人夜行バスに乗ってキエフでドミに泊まってトレーニングしてきました。


    なぜキエフを選んだのかというと、ドイツでこの年越しに一緒に働いたアーティストの女性N(イニシャル)に感化されたからです。


    彼女は、もう37歳でベテランなのですが、子供の頃から新体操や体操などのトレーニングをしていたわけではなく、この世界に入ったのは結構遅くおそらく20歳を超えるか超えないかくらいのようでした。



    それまではピアニストを目指してピアノを弾いていたのですが、母がドイツ人と再婚するためにロシアから一緒に出てきた際、ピアノの道は諦めたそうです。


    その後エアリアルティシューを見て、私はこれをやる!と決意し、そこからモンゴルに行ったり、キエフに行ったり、数々のコントーション、ハンドスタンドなどのサーカスの基礎になるものをワークショップやオープンクラスで受け、やり方を多少学んだらあとは自分で身体を開拓していき今では私よりも体が柔らかいです。


    私はてっきり小さい頃からそのようなトレーニングを積んでいた人かと思ったのですが、彼女は体も成長しきってからトレーニングを開始し、


    今ではハンドスタンドもエアリアル系全般も習得しているのです。


    彼女の賢いところは、その道のプロの元へ出向き、教えを授かったところです。


    特にコントーションという軟体芸には、習得へのメソッドが割と確立されており、きちんと個人個人の体の構造の違いを見てくれてちゃんと経験も知識もあるコーチの元へ行けば


    その最短の習得方法を知ることができます。あとは結局自分でやるかやらないかの世界になるので、王道のやり方、確立された効果のあるトレーニング方法に行き着くことができればコントーションやハンドスタンドは自力で習得することができる分野なのです。


    もちろん時間はかかりますし、個人の身体の質にもよりますが、サーカスは才能云々ではなく、やり方が正しければ誰にだって可能な分野なのであります。(まあ、サーカスに限ったことではないのですが、、、、)


    だからこそ、サーカスを見て、すごい!よくぞここまで到達した!頑張った!!と拍手が起き、感動が起きるのだと思います。


    さて、このようにNの存在は私の向上心に火をつけ、プロにお金を払って教えてもらいに行かない私の傲慢さを顧見させ、出だしが遅れたなあと劣等感に思う心を奮い立たせ希望をもたせてくれたのであります。



    なので、私もNが修行しに行ったキエフに行くのだ!!と、鉄は熱いうちに打て、というか、思い立ったが吉日、というか、、、ドイツからモルドバに戻って2週間経ってから(結構のんびりしたか?)6日間(あれ、少ない?)キエフにてコントーションのスタディオと、エアリアルの個人レッスンに行ってきたのであります。(もう一つの理由はキエフは安く個人レッスンが受けられるから。)


    コントーションクラスでは、大学時代のダンス部で1位2位を争う硬さから私は硬いと思い込んでいた私に先生が「あんたの骨盤はもともと開いてる!!この子達(生徒さんたち)が何年かけても開かないのにあんた今日でついた!!」


    と、左右開脚で私の骨盤を床に平行にした上で骨盤を床に向かって先生がぎゅうぎゅう押しながら私の骨盤を無理やり床につけて感動したように言いました。


    もちろん私は死にそうになりながら押されていたわけなのですが、え、私の骨盤閉じてるのかと思ったら、開いてるんだ、という発見と、


    じゃあ、筋肉がつっぱってるのか、とすると筋肉され緩められれば左右開脚180度夢じゃないんだ!!と


    私、まだまだ伸びしろある、と認識させてもらえ、


    顎をつけてえび反りさせられるやつも、背中をボキボキボキイイイィ!!!とされながらも足が頭の向こうの床まで着き、(もう自分一人ではできないが)


    「あんたすごいじゃない!!ほら着いたわよ!!」と先生も一緒に喜んでくれ、


    あまりの背骨の音にビビりながらも、たとえ先生が折りたたんで補助して押してくれたからとはいえ、やはり自分にもあそこまでできた、という経験は私に自信を与えてくれる経験となったのでした。


    エアリアルも、動画から見て真似するよりも、先生が目の前で見せてくれて、私がやったことに対してすぐにフィードバックをくれ、手直しができ、しかも経験豊富な先生が自身の仕事で使ってきた技なので


    実用的でありなおかつサーカスらしいダイナミズムもあるものを教授することができ、来てよかった、と思える個人合宿となったのであります。


    宿泊は、キエフの黄金の門の目の前のホステルの女性専用ドミでした。


    初日にスリ未遂にあったりしましたが、何しろ初めての経験だったので、スリってこんな手口なんだ!!とちょっと興奮さえ覚えました。


    未遂で何よりでした。これに関しては他の投稿で詳しく注意喚起ということで記録しておきたいところです。


    長くなりましたがこの辺で。


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    2020年1月16日木曜日

    その2〜列車とホームに挟まれた男〜記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズ

    こんにちは。ぽんたです。

    記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズ第二弾です。


    第1弾では、キシナウからイスタンブール経由でハンノーバー空港まで行き、そこで親切なおじさまの手を借りてなんとか列車の切符を買い、ハンノーバー中央駅で乗り換えるところまで記憶を辿って綴りました。

    今回の投稿はその続きです。


    その親切な男性は、荷物を運ぶのまで手伝ってくれ、電車が少々遅れたため短くなった乗り換えもなんとか間に合った。

    キャリーバックもリュックも列車に乗せたし、あとは自転車用のでかいダンボール箱だけ、と息をつこうとしたとき、


    ドサッ!!と音がした。


    何事かと思って振り返ると、私の夫が列車とホームの隙間にダンボール箱を掲げた状態で仁王立ちしている。


    どうやら箱で列車とホームの間の隙間が確認できず、落ちたらしい。


    その場に居合わせた通行人も大丈夫?!といった感じだ。


    しかもどうやったら片足だけでなく2つの足いっぺんに列車とホームの間に立てるのだ?


    一番本人がびっくりしていて、夫はいささかパニック状態になっており、すぐさま這い上がって列車に乗ったものの、後に続く乗客全員の荷物を運ぶのを何故か「手伝いましょうか?手伝いましょうか?」と手助けし、それが終わってから改めて


    「めっちゃ痛いいいい」とうずくまるのであった。


    どうやら両スネを列車の入り口のせり出ている部分に打撲&擦りむきながら落下したらしい。


    ジーンズにも血が染みている。


    スネの傷は自転車トライアルでは日常茶飯事であるとはいえ、さすがに今回は痛そうだ。


    骨折や捻挫などをしなかったのは不幸中の幸いで、契約のために、金稼ぎのためにはるばる来て、その移動途中に骨折なんてしたらたまったもんじゃない。


    これだけですんで良かった、と言いつつも、急いでいても、焦らずに足元はよく注意しなければいけないね、と言うしかなかった。


    とまあ、気をつけていても、大きな怪我は予期せぬところか降り注いでくるもので、この契約中でも、とある女性アーティストがトレーニング中に落ちそうになったダンベルを取ろうとして小指を骨折した。(それでもステージに立ち続け、契約期間を終えた。)


    サーカスアーティストは、怪我が付き物ではある職業なのだが、大抵の場合、すぐに代役を立てることは難しい。


    その日にもうショーがあるからだ。なので、私も右膝を捻挫しながらポールダンスのナンバーや夫のアシスタント(そのナンバーは不幸にも私のダンスパートが結構あった)をやったこともあるし、


    マメがズル剥けていてもポールをつかまなくてはいけない時もあった。


    もちろんソロの場合、技などは変えれるのだが、自分の持ち時間は何かやらなくてはならない。ショービジネスなので、プロ野球のようにピッチャーの肩の消耗なんて考えてはくれない世界なのだ。


    それに、3日探せば変わりはいくらでもいるような世界でもあり、私のようなB級アーティストは必死に仕事にしがみついて自分のあた得られたポジションにしがみつかなければ食べてはいけないのである。

    (そういえば、胃腸炎で熱が38度あった時もやらされたな、、、これはさすがにキツかった。)


    話を元に戻す。


    ハンノーバー中央駅からオスナブリュックまでは、なんだか特急列車のようだった。チケットもなかなかの値段で、日本でいう新幹線だったのかもしれない。(もちろん新幹線の方が何倍も綺麗)


    ここでは、女性の車掌さんがチケットを確認しにくる。なので今回はオスナブリュックまで何駅が聞くことができ、無事にオスナブリュック中央駅に到着できた。


    さて、これからが問題だ。事前にオフラインでも使える地図をダウンロードしておいたものの、夜になって真っ暗なので方向がよくわからない。


    もっと栄えている街を想像していたのだが、埼玉でいうと桶川くらいで、駅の周りにこれといった目印が見当たらない。


    交番のお巡りさんを見つけたので、最初の方角はわかり、少し不安ではあるが頑張ってサーカスまで到達しなければならない。


    住宅街の方に大荷物を抱えた2人がゾロゾロゴロゴロ行く。


    マリファナの匂いがするたびに2人でニヤニヤする。


    タクシーを捕まえればいいのだろうが、2人とも異国の地のタクシーに乗る気にはなれず、(ぼったくられたら嫌なので)


    綺麗なクリスマスの飾りつけのなされた大きい家たちを横目に移動する。


    二十分ほど歩いて、やっとサーカスRに着いた!


    着いたはいいが、自分たちのキャラバンを見つけるのに時間がかかり、見つけたもののそこには自分たちの大道具のパーツがあり、

    電気を接続しなければならず、

    自分たちがつきましたよ、と知らせねばならなかったりと、着いてからもすぐにはねれない。


    しかも、キシナウの家を朝6時に出発して、ドイツの現地時間夜9時すぎに目的地に着き、お腹も空いてヘトヘトで、でもドイツのスーパーは閉まるのが早く、もう間に合わない。


    なんとか頑張るけど、2人もこの大荷物の移動に相当疲れているので痴話喧嘩が多くなる。


    明日は私の就労ビザのアポイントがあるのに、集合時間と場所がわからない。というのも我々はこの異国の地ですべてのネットワークから圏外である。


    まずは、ステージを作っているテントへ行き、主要人物とのコンタクトを試みる。


    テントの中はまだ照明チームが作業をしていて、自己紹介をしつつ、明日のことを誰に聞けばいいのか尋ねてみる。


    みんな人ごとにしないで、誰か呼んできてくれた。それはプロダクションの長の双子の兄弟だった。


    それで、今から自分の兄弟を呼ぶからここで待ってて、と言われ、待っていると同じ顔が来た。


    背が高くてイケメンだ。30代半ばくらい。私はほんのり恋心を感じつつ、結婚するの早かったかなあ、でも夫がいなかったらここに来れてないしなあ、と思いを巡らし明日に備えて休むのであった。

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    2020年1月15日水曜日

    記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズまとめ


    記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズ。


    ライトアップがディズニーランド級なオスナブリュックのとあるレストラン


    2019年のクリスマスから2020年を迎えるまでの期間、ドイツはオスナブリュックにて働いておりました。その時の記憶を綴ってまいります。


    その1 〜キシナウからハンノーヴァーへ飛んだ日〜

    その2 〜列車とホームに挟まれた男〜 






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    記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズ。その1〜キシナウからハンノーヴァーへ飛んだ日〜

    こんにちは、ぽんたです。


    自転車野郎の下敷きになる仕事



    長らく投稿が途絶えていましたが、なんと6ヶ月ぶりの本職での仕事でドイツに行っておりまして、今はキシナウに戻り1週間ほどたちましたがやっと投稿を作成する気になりましたので、ドイツでの年越しの様子を記憶日記として綴っていきたいと思います。


    それでは、記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスR(イニシャル)での年越し。」シリーズ。その1〜キシナウからハンノーヴァーへ飛んだ日〜 どうぞ。


    朝6時。深い霧が立ち込める中、大荷物を持った若い男女が家の前に立っている。この夜逃げでもするのかと思われてもおかしくない大荷物で道路際に佇んでいるのは私ぽんたと、その夫なのであるが我々は夜逃げをするのではなく、空港へ行くべくタクシーを待っているのである。



    1台のタクシーが我々の2件先に停る。小さいタクシーだ。我々が頼んだのは大荷物用のタクシーなので、どうやらこんなに朝早くから同じ日にタクシーで移動する人がもう1人同じ通りにいるらしい。



    我々が呼んだタクシーが来る。自転車の入った大きなダンボールとつぎはぎのある布製のキャリーバック2つ、石でも入れたのかと思うくらいのリュックサックを2つ積み、空港へと向かう。



    この、合計5つの我々の移動セットは我々の移動には付き物で、中身は自転車、及びその予備パーツ、衣装、練習用の道具など主に仕事に必要なもの、そして電気コンロを含む生活に必要なものが大部分を占めており、



    こんなに大荷物で来た割には、あれ、毎日同じ服来てない?と周りから思われても仕方ない感じになるのはもう気にしなくなった。



    それでもたまにおしゃれしたくなる衝動にも駆られるが、ステージの上で綺麗な衣装でメイクアップすることでだいぶ解消される。




    空港に着いた。180レイだかなんだかを払う。我々の移動の仕方は夫が私のクソ重いリュックを背負い、大きなダンボール箱をアリの様に担ぎ、嫁は夫の軽めのリュックを背負い、2つのキャリーバックを両手に大胸筋、上腕三頭筋を固めながらゴロゴロ着いていく。



    キシナウの空港は幸いにも小さく、入り口を入ればすぐにカウンターがこじんまりと並んでいるためあくせくする必要がない。



    我々は早めに来たのでカウンターが開くまで30分ほどある。夫は私よりも心配性なのでもっと早めに着く様な計画をするタイプなのだが、
    さすがに私が起きれないので30分遅くしても余裕だと説得して丁度よかった。



    カウンターが開き、我々の番が来る。今回我々をキャスティングしてくれたサーカスR(イニシャル)は、ドイツでは割と有名なサーカスで歴史もある。会社としても大きく、プロダクションもファミリー経営のサーカスとは違い、しっかりしている。



    飛行機のチケットも往復買ってくれるサーカスは少ない。でもこのサーカスRは往復の飛行機チケット、そして自転車の積荷代まで払ってくれるというのである。



    とても好印象である。そして彼らが連絡してきたことは、自転車の荷物分予約はしたのだが支払いはカウンターだということなので、立て替えておいてくれ、とのことだった。



    なので、我々は自転車分払う準備をしていたのだが、トルコ航空のキシナウ空港のお姉さんは独自の解釈とやり方で何故か自転車の分のお金を取ることなく我々の荷物を預かった。


    我々はスポーツ用品はタダなのかなあ?など、得をした気分でパスポートコントロールを通るのだが、これが結局帰りに自腹を切らなければならなくなるとはこれっぽっちも思っちゃいなかった。




    さて、我々の今回の旅路は、モルドバのキシナウからトルコのイスタンブールで乗り換え、ドイツのハンノーバーに行き、そこから列車でオスナブリュックに行くというものだったのだが、


    まず、私のわくわくポイントは、トルコ航空であること、イスタンブールで待ち時間があるということであった。



    何故トルコ航空が嬉しいのかというと、機内食が美味しく、食後のお茶またはコーヒーも出してくれるところである。


    キシナウからイスタンブールまでの短い時間でさえも美味しいサンドイッチとデザートをつけてくれるのである。



    イスタンブール空港では、コーヒー屋さんでトルコ語でやり取りをして買うのが私の楽しみで、やはり、せっかく自分が習得した言語を使う機会、そして空港内だけではあるものの、トルコの空気を感じられることが私の小さな幸せだったりするのだ。



    そんな幸せなトルコ航空での旅路を経て、いよいよドイツ入りの時である。


    我々は、サーカスRから荷物が少ないとみなされ、列車のチケット代払うから自分たちで来てくれ、と2日前に言われた。


    グーグルマップに聞いてみると、ハンノーバーからオスナブリュックまで、直の列車がない。


    私の想像の中ではインフォメーションデスクが空港にも駅にもある予定だったのに、いざ蓋を開けたら、あれ?結構閑散としている。。。



    インフォメーションデスクに聞き(トルコ語のわかるお姉さんだった)ざっくりした説明を受け、列車の駅にたどり着くも、切符の買い方が複雑すぎた。



    英語を選択するも、わけがわからない。何段階も何かを選択しなければならず、結局人に聞いてみることにした。



    こんな時、夫は語学に自信がないので自分では聞かない。「あの人に聞けば?」「この人に聞けば?」と指示をするだけである。


    私だってドイツ語は知らないし、フランクフルトで味わったドイツ人の冷たさがトラウマで、なかなか声をかけられない。でも駅にはインフォメーションデスクがない。駅員さんも見当たらない。

    「あんたが聞いてよ」


    「君の方が英語わかるだろ」


    と少しぐちぐちしたのち、やっと一人の初老の男性に声をかけれた。


    すみません、オスナブリュックまでの切符の買い方教えていただけませんか?


    と、冷たい対応にも耐えられるようにメンタルを準備して聞いてみた。


    その複雑な機械に集中していた男性は、ちょっと待ってまず自分の買うから、とし、(やはり現地の人にもその切符売りの機械は難しいようだ。)


    その後、丁寧に我々2人分の切符を買うのを手伝ってくれた。


    それだけで十分だったのに、私が日本から来たことを知ったからなのか、何十年前に日本を旅した経験があったその男性は、自分もハンノーバーの乗り換えのところまで一緒だからと、荷物まで運ぶのを手伝ってくれ、引率してくれたのだ。



    ドイツ人のイメージがフランクフルトで味わった冷たさにだいぶ影響されていたのだが、どうやらそれはフランクフルトならではの光景だったようで、


    その後のクリスマーケットでもスーパーマーケットでもカフェでも、ドイツ語がわからないからといって何かあしらわれるような対応をされることは一切なく、感銘を覚えるほどだった。



    乗り換えまで手伝ってくれたその男性には、何かお礼がしたいと思い、去年ドイツで買った私の電話番号を2人名刺に買いて、もしオスナブリュックにこの期間までに来る予定があったら、ショーに招待するから連絡してくれ、と渡してみた。



    男性はなんだか子供に戻ったように、喜んでくれた。


    が、しかし、その電話番号はもう使えなくなっており、フェスブックでその男性の名前を探してみるものの同姓同名がだだおり、未だにその男性とは連絡が取れていない。。。


    もし電話かけてたらどうしよう、、、という心配もあるが、その名刺には我々のもうありとあらゆる連絡先が書いてあるので、それでも連絡がないということはきっと、おじさんの予定が合わなかっただけだということを願わんばかりである。


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