2019年11月16日土曜日

姑と夫の実家で同居していたときの私の闇日記1〜今私はキシナウ市にいる〜

実は私はdorcoというアカウント名でnoteをやっていて、だいぶ前から更新がストップしてしまっていました。

その時は姑も夫の姉の甥も一緒に夫の実家で暮らしていた時に溜まっていた鬱憤を発散させるために日記なるものを投稿しておりました。

引越しして夫と二人暮らしになってからは日記を書く鬱憤エネルギーがなくなったというかネタがなくなったというか、、、この度ブログを始めるにあたり、投稿する場所を一つにまとめようと思い、その時の投稿をこちらに引っ越すことにしました。

結構闇が見え隠れしてしまっているかもしれませんが、もしかしたらこの時の私のように嫁姑関係に悩んでいる人もいるかもしれないと思い、少しでも何か励みになればとも思い、その時の投稿をそのまま引っ越すことに致しました。

日記ではですます調ではなく、だ、である調で書かせていただいております。
以下、日記その1です。
 

姑が我々が帰ってくるたびこしらえてくれたディナーはこんな感じ


2019年6月某日

今私はキシナウ市にいる。モルドバ共和国のキシナウ市にいる。しかもとある一軒家の台所にあるテーブルにパソコンを置いて椅子に座って、お茶を飲んでいる。


何故かわからないけれども、ここに流れ着いてしまったのだからしょうがない。

 
目の前には夫の姉の息子がスマホにかじりついて、時々ふがふが笑う。この甥っ子については、家族みんなが心配している。というのも、夏休みが始まって以来(その前からも学校から帰るとすぐに)ずっとパソコンの前に陣取り、オンライン上にいる人たちと暴言を吐きながらズドドドド、ズドドドドと機関銃で人間を撃っているからだ。


パソコンの前にいない時は、スマホか昼寝で、夫の稼ぎや私の貯金によって出来上がった食事を何の遠慮もなく大量に食べる。さすがに半分以上残飯にした時は怒鳴りつけた。勉強しないのであれば、もう働いても良い年頃だ。というか、働いてくれ。


 この甥の母親も母親で、二階をまるまるぶん取ってサロンを経営している。自分はネイリストなのだから、自宅でこじんまりやれば良いものを、人を雇い、光熱費もろくに払えないくせにサロンを拡大し、自分はタクシーで来る。そして私から借りた200ユーロですら返さないでだんまりを決め込んでいるのである。


 聞けばこの一軒家は元は姑の両親のもので、姑のものになった時点でもまだローンが残っており、それをこの夫の姉がモスクワの金持ちと寝て大金を工面し姑からこの一軒家を買取り、冷蔵庫と洗濯機まで揃えたのだ。そして自分は一軒家の二階部分の一角でサロンを経営し始めたのである。ここまでは大丈夫だ。むしろ親孝行ともいえる。

しかしこの女は経営とギャンブルをはき違えているというか、借金に対する価値観が歪んでいるというか、返した金を一時間後にまた借りに来るような女なのだ。毎日タクシーで来るくせに。容姿はまあまあ淡麗だが、彼女自身も本当の彼女を知らないくらい自分を天才かスーパーモデルか何か特別なものだと思い込んでいるような感じなので、2番目の夫とその間に4歳の娘がいるものの、おそらく友人は一人もいないだろう。


 別に友人が多いことが良いことであると言う気はさらさらない。私自身も友人は少ない方であるし、気の置けない仲と呼べるくらいの友人は、私の母親と、高校の同級生1人(それも今は疎遠になってしまった。)、そして夫くらいなのだ。それでもあの女には仕事をもらいに来る女しか寄ってこない。おそらく、人にちやほやされたいがためにもはや経済破綻しているビジネスと言うだけ悲しいサロンを手放さずにいるのだろう。


 今晩はまだ姑を見ていない。二階部分を全て自分の娘にぶん取られてしまった姑は今、この家に居場所がない。自分で蒔いた種なのだから、嫁の身分の私は何も手の施しようがない。この姑がまた後先考えて行動するタイプではないのと、失うことへの心の傷と、自分の娘息子から嫌われたくないばかりに八方美人になってしまい家族仲をぐちゃぐちゃにしてしまうのと、潔癖性なのに我々夫婦、そして孫をこの家に受け入れてしまう中途半端な寛容さが彼女自身の首を締めており、ヒステリックに火がつきっぱなしで毎日のように小さな火種を撒き散らしては自分で火傷しているのである。


そして噂によれば最近金持ちのアメリカ在住ロシア人との縁談が破綻したらしい。まあ、相手もあと何年生きるのかわからないような爺さんだったのだから、マイアミに行けないのは残念だし遺産も手に入らないのは残念だけれども、ダイヤモンドが5つくらいある指輪と細工の施された金の指輪を二つももう貰っているし、それらを質に入れるなり売るなりして窓ガラスの割れた部屋を修理してそこに住めばいい。


 夫が浴室からタオルを取ってくれと私を呼んだ。来るはずだった洗濯機の修理屋さんのために洗濯機の上からタオルを姑が台所に運んでいたのだ。今に彼は私に観せたい映画を用意してまだかまだかと急かすだろう。それとも今日は普段は私に見せないホラー映画か残虐的な映画を観ているのだろうか。何はともあれシャワーを浴びてそろそろ寝ることにする。



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