その名も「ハリウッドザコシシショウ、’鬱’吹き飛ばせる説」です。
私はお笑いが好きで、漫才やコントも好きなのですが、フリートークでなされる芸人さんの巧みなやりとりと卓越な発想で即興で生み出される笑いをみると、尊敬の念が生じます。
ただ面白い、と笑うだけではなく、このひとたちマジでスゲーーー!となるわけです。
彼らは天性の面白さも兼ね備えているのですが、それぞれいろいろ美学のような、ロジックのようなものがあるようで、こういう時はこう、この時はこうするというようように割とアカデミックさも感じることがあります。
まあ、そういう後から磨き上げたものも含めてセンスなのかもしれませんが、豊富なボキャブラリーと発想力、頭の回転の速さなど、
今、テレビ等で活躍されている芸人さんたちは何か一定の基準があるようにもみられます。
何かハチャメチャに見える芸人さんの中にも、何かルールのような、枠のようなものがあるようにも感じます。
そこを逸脱し超越するのがザコシショウです。
彼は、3頭身に限りなく近く、クリクリした目で、おじさんなのに何故か可愛くもあります。
その赤ん坊をそのまま大きくしたようなスタイルで自由奔放にそして思いっきり自分のネタをやり抜きます。
肝も座っているというか、お客さんの反応を気にしすぎないというか、自分がこうだ、と思うことを、ぶつけてくるわけです。
これはもはや面白い面白くないという問題ではなく、
なんでここまでできるの?という彼の生き様に感動する域に到達しています。
特に、彼の誇張したモノマネシリーズのパワフルな芸は、人間の持つ全ての感覚に訴えかけてくるようで、
面白いだけではなく、本当に生きる気力を、ヒューマンパワーを感じるのです。
おそらく、彼は、自分のやりたいことを自分のやりたいようにやっているだけの極めて純粋な精神で、子供のように芸をしているのだと思います。
こうやればいいだろう、こうすれば売れるかな、こう言っておけば笑いが起こるわけではなく
ザコシシショウは極めて純粋な気持ちで全身全霊をかけて邪念なく、自分の世界観をネタに打ち込み、そしてやりぬくのです。
彼はただ、自分を世界にぶつけているだけなのです。
別に頭がおかしいと思われようが、やばいやつだと思われようが、自分は自分だ、と肝が座っているのだと思います。
結果を気にして人にどう思われるかを気にして、自分の言いたいことも飲み込んで溜め込んで神経すり減らして、自分だって本当はキチガイなのに、自分だって本当は「殺す!!」って叫びたいのに、それをひた隠して周りに合わせた結果、精神を患ってしまった人たちにとって、
ザコシショウの存在は、彼らの鬱憤を晴らしてくれるような、単純明快な芸で、後先も考えず、伏線も張らず、
ただスタートしたら止まることなく、自分が面白いと思ったことを自分が面白いと思ったようにやりぬく、というスタイルで多くの人の感情に訴えているのだと思います。
これは予想なのですが、彼のようなエネルギーの塊芸は多くの人の命を日々救っていると思います。
まあ、彼だけではなく多くの芸人さんは知らず知らずのうちに、多くの人の自殺願望に待ったをかけていると思いますが。
日本人は思いつめる人が多いですから、お笑いの需要は本当に高いと思いますし、日本の笑いのレベルはかなり高いと思います。
アメリカに留学とか武者修行もいいかもしれませんが、世界中のコメディアンが日本に修行に来るのもありだと思います。
話が少しそれてしまいましたが、ザコシショウの笑いは世間擦れした精神を癒してくれるような、子供のときの友達と笑い転げているときのような、忘れていた何かを思い出させてくれる、生きる活力を与えてくれるような笑いである、ということを書きたかったのであります。
お読みいただきありがとうございました。

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