2020年8月21日金曜日

記憶日記:トルコのイスラム犠牲祭。パムッカレのあるデニズリ県のとある村で見たクルバンバイラムの風景(ちょっとグロテスクな表現注意)

この投稿では私ぽんたのトルコでのイスラム犠牲祭(クルバンバイラム)の体験追憶物語をお送りします。


2013年の夏の終わりか秋ぐらいのことでした。


当時トルコのパムッカレのとあるホテルでボランティアワークをしていた私は、イスラム犠牲祭(トルコ語で、クルバンバイラム)のために実家のある村へ帰る掃除婦さんハティジェに、「あんたも一緒に行くのよ。」と半ば無理やりデニズリ県にあるとある村へ連れて行かれました。


ちなみにこのイスラム教のお祭りは、鶏からヤギ、羊、牛さんまでの動物たちを神聖な儀式を共に解体し、そのお肉をみんなで分け合っていただく、というお祭り、祝日で、


日本のお正月のようなもので、この時期には家族、親戚で集まります。


懐かしのパムッカレ


当時トルコ語がろくに話せない私にお構いなく話しかけ、私をカンカ(血の契りを交わした親友を意味する)と称し、なぜか裏声発声で話すハティジェは、どことなくダウン症の人に似た雰囲気を持ち、まん丸とふくよかなシルエットで、色白でもち肌で、、、



親族に彼女に似たようなダウン症の人間がいる私には、とても親近感の湧く存在であったため、ちょっと風変わりな人ではあるものの、裏表のない性格と、ボーイフレンド(元)以外に特に友達のいない私にとって無理やりでも私のカンカ!と呼んでくれるハティジェに私も懐いておりました。



毎朝ホテルの朝ごはんの後のお皿洗いをするハティジェを手伝ってもいました。




私とハティジェの仲はさておき、私はハティジェとハティジェの夫の運転する車に乗りパムッカレからまずはデニズリの中心部に向かいました。




そこで車はとある住宅地に停りました。ハティジェの言うことには、自分の息子に会いに来たというのです。お子さんがいるなんて思っていなかったので少々驚きました。




ハティジェの息子さんは、当時6歳くらいでベルカイと言いました。




養子に出したのか、預けているのか真相はわかりませんが、ベルカイは癇癪を起こしながらお母さんらしき女性に連れられて団地から出てきて、




ハティジェは、別にハグするでも撫でるわけでもなく、ベルカイ、ベルカイ、と呼びかけてまるで祖母が孫にお小遣いをやるように100リラ渡しました。



ベルカイは知能的なハンディキャップを抱えているようにも見えました。



そして、すんなりその家を後にしました。


ベルカイやハティジェの様子と、ハティジェとハティジェの夫はいとこ同士だ、という情報からおそらく村では近親相姦が見られ、そのためにハンディキャップを抱えているような人たちの割合が多いのかなあ、と予想できました。







学校教育なども行き届いていないのかもしれませんが、詳しいことは別に聞きませんでした。



村では、まず、ハティジェの実家に行きました。


そこには、ハティジェのお母さんと、ハティジェそっくりの息子がいました。




これはベルカイのお兄ちゃんで、あまり社交的ではありませんでした。ハティジェのお母さんを手伝っていました。




家の様子は、牧場というか、畑というか、、、現代的な感じではなく、さすがトルコの村だなあ、、、村ってこんなんなんだ、、、と衝撃を受けました。




土間のような空間に入ると、壁際の地面にはいくつものヤギの生首が置かれておりこれまた衝撃を受けました。


これが、イスラム犠牲祭か、、、と。





そして、ハティジェの家を後にしておそらく彼女の夫の親戚関係の家に行きました。




敷地内では親戚が集まり、バーベキューをしていました。パンに挟んだ肉を、さっき捌かれた新鮮な肉だよ、と渡され、食べてみるとやはりいつも食べている肉より美味で、肉にも鮮度があるんだなあ、、、と当たり前のことかもしれませんが発見したのでありました。




その後ハティジェにいよいよ牛の首を切るよ、と促され見に行きました。ハティジェはこの伝統的な光景を日本人の私には珍しいだろうと、連れてきたのでありました。



現場は敷地内ではなく、家の前の道路でした。


家の前の道路ではすでに動物の血が小川のように流れ、村中が血の匂いに包まれていました。


そして、今まさに犠牲になろうとする大きな牛が、男たちに足を縛られ押さえつけられており、その牛は恐怖のあまり抵抗し鳴き叫んでおりました。男たちもわっせほいせと力一杯紐を引っ張っています。





そのうちに牛は後ろ足をひとくくりにされ、クレーンでその後ろ足を括られ持ち上げられます。


首が地面に押し付けられる高さまで吊るされると、前足は紐で引っ張られ横倒しになった状態で、首の部分を2人がかりで押さえつけられ、ナイフを持った男にお経のような、呪文のような、おそらくムスリムの中での神聖な言葉を唱えられ、そのまま首をナイフでギリギリギリっと切られて行きました。



聞くところによると、この作業を行える男性は村で1人しかおらず、彼が村を一軒一軒回ってこのような儀式をしていく、とのことでした。



しかし、ナイフなので、一瞬では終わりません。


その牛は、痛みと恐怖に叫び、ただその叫びの後半は声帯を通る血液でゴボゴボゴボッとなりました。モォーーーゴボゴボゴボッ、、、!という感じです。




その後しばらくその角度で血抜き作業が行われ、背中を地面に四本の足を空に投げ出した首のない牛は腹の縦中心にナイフをスーッと入れられ、そこから皮が剥がされ、解体されて行きました。


そのあとはあんだけ美味しいと思ったバーベキューを一口も食べることはできませんでした。


お隣さんの牛さんは、自身の運命をわかっているようで、何も抵抗することなく静かに持ち上げられ、ナイフが入った一瞬だけモ゛ッ、、、と言ったものの静かに静かに犠牲になりました。


牛にも性格があるんだなぁ、、、と感慨深かったです。


こんなに感情豊かで個性もある動物を、果たして食べていいのだろうか、、、という疑問も残りました。それでもやはり焼肉やすき焼きは恋しいです。。。





そのうちに別の3匹の牛がのそのそと、その現場へ歩いてきました。



そのうちの真ん中の1匹が皮を剥がされひっくり返された首のない仲間を発見し、自分たちと同じ牛だと認識し、目をはっと見開き息を呑んだようなリアクションを取りました。



そしてすぐさま両隣の牛たちと目配せをして、きょとんと立ち止まってしまいました。





そりゃあ自分と同じ仲間が首を切られ皮を剥がされ逆さまに横たわっている光景を見たらショッキングですよね。。。



私はその時、牛にはだいぶ知能もあって、首から先がなくても皮を剥がれて逆さまになっていても、それを自分たちと同じ牛だと認識できて、そして、自分たちはこうなるのかといった状況を判断、予想できるんだなあ、と考察しました。



ますます、牛さんを食べていいものなのか、疑問に思ってしまう出来事でした。でも、やはりたまに牛肉食べると、すごく美味しいんですよね。。。



その3匹の牛は横にいた老婆に急かされ再び歩き始めましたが、



あの牛さんたちの表情は忘れがたいです。





さて、村人の様子ですが、女たちは、口に手を当てながら真剣にその作業を見守っていました。



この状況を前にして楽しくおしゃべりができるような神経ではみなさんありません。みなさん真摯にこの光景を受け止めております。



小さな子供ももちろんその光景を見ています。かなり衝撃的で、ショックです。ですが、これが肉を食べるということなのだな、ということを痛感させられます。



しかしながら、やはりこれはちょっと刺激が強すぎて、この刺激に慣れ過ぎてしまう子供たちがいるのではないか、と心配にもなります。


そんな中、10歳くらいの目つきの悪い少年がトラクターで乱暴な運転をしており、大人たちに注意されるものの無視している光景を見ました。



その少年を見たときはいろんなものを危惧しました。



牛1頭は、たいてい1つの家族がみんなでお金を出し合って買い儀式を行ってみんなで分け合って食べます。



個人だと、ヤギや、羊1頭を買うみたいです。でも全人口がヤギや羊を1頭ずつさばいてしまったら、、、ちょっと余分な気もします。



もちろん戦渦のシリアのムスリムの同胞たちへ送る、貧しい人たちに送るということも行われているようですが、やはり、現代社会において多くの人が経済的にも余裕が出てきて、誰もが羊やヤギ1頭を買える時代になってしまった今、少しスタイルを変えたらどうかなぁ、、、なあんて思います。




もともとのコンセプトお金がある人が代表して買って、貧しい人たち、みんなに分ける、といった喜捨の精神なのでしょうけれども、現代ではちょっとお肉を余分に食べ過ぎている気がします。




ちなみに、私が見た光景はトルコでも珍しい方の犠牲祭の光景だったらしく、犠牲祭は素晴らしいと自国の文化を誇っていた知人に聞くと、都市部ではすでに街を血だらけにするようなやり方は禁止されており



公道でおおっぴらに首をかききるようなやり方は行っていないらしいです。


もしかしたら、トルコ人でも見たことがない光景を私はその村で見たのかもしれません。



ハティジェはすごい村から来てるんだなあ、、、って思いました。


以上、トルコで見たイスラム犠牲祭の風景でした。



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