2020年1月15日水曜日

記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスRでの年越し。」シリーズ。その1〜キシナウからハンノーヴァーへ飛んだ日〜

こんにちは、ぽんたです。


自転車野郎の下敷きになる仕事



長らく投稿が途絶えていましたが、なんと6ヶ月ぶりの本職での仕事でドイツに行っておりまして、今はキシナウに戻り1週間ほどたちましたがやっと投稿を作成する気になりましたので、ドイツでの年越しの様子を記憶日記として綴っていきたいと思います。


それでは、記憶日記「6ヶ月ぶりの仕事inドイツはオスナブリュック。サーカスR(イニシャル)での年越し。」シリーズ。その1〜キシナウからハンノーヴァーへ飛んだ日〜 どうぞ。


朝6時。深い霧が立ち込める中、大荷物を持った若い男女が家の前に立っている。この夜逃げでもするのかと思われてもおかしくない大荷物で道路際に佇んでいるのは私ぽんたと、その夫なのであるが我々は夜逃げをするのではなく、空港へ行くべくタクシーを待っているのである。



1台のタクシーが我々の2件先に停る。小さいタクシーだ。我々が頼んだのは大荷物用のタクシーなので、どうやらこんなに朝早くから同じ日にタクシーで移動する人がもう1人同じ通りにいるらしい。



我々が呼んだタクシーが来る。自転車の入った大きなダンボールとつぎはぎのある布製のキャリーバック2つ、石でも入れたのかと思うくらいのリュックサックを2つ積み、空港へと向かう。



この、合計5つの我々の移動セットは我々の移動には付き物で、中身は自転車、及びその予備パーツ、衣装、練習用の道具など主に仕事に必要なもの、そして電気コンロを含む生活に必要なものが大部分を占めており、



こんなに大荷物で来た割には、あれ、毎日同じ服来てない?と周りから思われても仕方ない感じになるのはもう気にしなくなった。



それでもたまにおしゃれしたくなる衝動にも駆られるが、ステージの上で綺麗な衣装でメイクアップすることでだいぶ解消される。




空港に着いた。180レイだかなんだかを払う。我々の移動の仕方は夫が私のクソ重いリュックを背負い、大きなダンボール箱をアリの様に担ぎ、嫁は夫の軽めのリュックを背負い、2つのキャリーバックを両手に大胸筋、上腕三頭筋を固めながらゴロゴロ着いていく。



キシナウの空港は幸いにも小さく、入り口を入ればすぐにカウンターがこじんまりと並んでいるためあくせくする必要がない。



我々は早めに来たのでカウンターが開くまで30分ほどある。夫は私よりも心配性なのでもっと早めに着く様な計画をするタイプなのだが、
さすがに私が起きれないので30分遅くしても余裕だと説得して丁度よかった。



カウンターが開き、我々の番が来る。今回我々をキャスティングしてくれたサーカスR(イニシャル)は、ドイツでは割と有名なサーカスで歴史もある。会社としても大きく、プロダクションもファミリー経営のサーカスとは違い、しっかりしている。



飛行機のチケットも往復買ってくれるサーカスは少ない。でもこのサーカスRは往復の飛行機チケット、そして自転車の積荷代まで払ってくれるというのである。



とても好印象である。そして彼らが連絡してきたことは、自転車の荷物分予約はしたのだが支払いはカウンターだということなので、立て替えておいてくれ、とのことだった。



なので、我々は自転車分払う準備をしていたのだが、トルコ航空のキシナウ空港のお姉さんは独自の解釈とやり方で何故か自転車の分のお金を取ることなく我々の荷物を預かった。


我々はスポーツ用品はタダなのかなあ?など、得をした気分でパスポートコントロールを通るのだが、これが結局帰りに自腹を切らなければならなくなるとはこれっぽっちも思っちゃいなかった。




さて、我々の今回の旅路は、モルドバのキシナウからトルコのイスタンブールで乗り換え、ドイツのハンノーバーに行き、そこから列車でオスナブリュックに行くというものだったのだが、


まず、私のわくわくポイントは、トルコ航空であること、イスタンブールで待ち時間があるということであった。



何故トルコ航空が嬉しいのかというと、機内食が美味しく、食後のお茶またはコーヒーも出してくれるところである。


キシナウからイスタンブールまでの短い時間でさえも美味しいサンドイッチとデザートをつけてくれるのである。



イスタンブール空港では、コーヒー屋さんでトルコ語でやり取りをして買うのが私の楽しみで、やはり、せっかく自分が習得した言語を使う機会、そして空港内だけではあるものの、トルコの空気を感じられることが私の小さな幸せだったりするのだ。



そんな幸せなトルコ航空での旅路を経て、いよいよドイツ入りの時である。


我々は、サーカスRから荷物が少ないとみなされ、列車のチケット代払うから自分たちで来てくれ、と2日前に言われた。


グーグルマップに聞いてみると、ハンノーバーからオスナブリュックまで、直の列車がない。


私の想像の中ではインフォメーションデスクが空港にも駅にもある予定だったのに、いざ蓋を開けたら、あれ?結構閑散としている。。。



インフォメーションデスクに聞き(トルコ語のわかるお姉さんだった)ざっくりした説明を受け、列車の駅にたどり着くも、切符の買い方が複雑すぎた。



英語を選択するも、わけがわからない。何段階も何かを選択しなければならず、結局人に聞いてみることにした。



こんな時、夫は語学に自信がないので自分では聞かない。「あの人に聞けば?」「この人に聞けば?」と指示をするだけである。


私だってドイツ語は知らないし、フランクフルトで味わったドイツ人の冷たさがトラウマで、なかなか声をかけられない。でも駅にはインフォメーションデスクがない。駅員さんも見当たらない。

「あんたが聞いてよ」


「君の方が英語わかるだろ」


と少しぐちぐちしたのち、やっと一人の初老の男性に声をかけれた。


すみません、オスナブリュックまでの切符の買い方教えていただけませんか?


と、冷たい対応にも耐えられるようにメンタルを準備して聞いてみた。


その複雑な機械に集中していた男性は、ちょっと待ってまず自分の買うから、とし、(やはり現地の人にもその切符売りの機械は難しいようだ。)


その後、丁寧に我々2人分の切符を買うのを手伝ってくれた。


それだけで十分だったのに、私が日本から来たことを知ったからなのか、何十年前に日本を旅した経験があったその男性は、自分もハンノーバーの乗り換えのところまで一緒だからと、荷物まで運ぶのを手伝ってくれ、引率してくれたのだ。



ドイツ人のイメージがフランクフルトで味わった冷たさにだいぶ影響されていたのだが、どうやらそれはフランクフルトならではの光景だったようで、


その後のクリスマーケットでもスーパーマーケットでもカフェでも、ドイツ語がわからないからといって何かあしらわれるような対応をされることは一切なく、感銘を覚えるほどだった。



乗り換えまで手伝ってくれたその男性には、何かお礼がしたいと思い、去年ドイツで買った私の電話番号を2人名刺に買いて、もしオスナブリュックにこの期間までに来る予定があったら、ショーに招待するから連絡してくれ、と渡してみた。



男性はなんだか子供に戻ったように、喜んでくれた。


が、しかし、その電話番号はもう使えなくなっており、フェスブックでその男性の名前を探してみるものの同姓同名がだだおり、未だにその男性とは連絡が取れていない。。。


もし電話かけてたらどうしよう、、、という心配もあるが、その名刺には我々のもうありとあらゆる連絡先が書いてあるので、それでも連絡がないということはきっと、おじさんの予定が合わなかっただけだということを願わんばかりである。


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