2021年1月13日水曜日

瞑想し始めたらお肉が食べられなくなりました。お肉を食べない理由を分析、解説しました。(動画あり)

瞑想し始めたらお肉が食べられなくなりました。お肉を食べない理由を分析、解説しました。

こんにちは、ぽんたです。

だいぶブログを更新しない期間がありましたが、実は瞑想にふけっておりいろいろ変化があったのでなかなかブログを書こうという気にならなかったのであります。

しかし、これは是非世間にシェアしておきたいと思うところができたのでとりあえず動画をこさえてみました。

ブログの記事でもこのことについてつらつらと書いていきたいと思います。重複するところもありますでしょうが、動画と、、、ご了承くださいまし。


今回の投稿の流れ


何か起きたのか(変化)
まず、去年の暮れまではっきり言って私は行き詰まっていました。生活にね。
私、というか我々夫婦?
突破口が見えないというか、いろいろ滞っているというか、這い上がれないというか、、、


ま、これについては別記事でおいおい書いていこうと思いますが、そんなこんなでとある友人に相談できたのが転換点だったのですが、


その友人の手ほどきを元に、瞑想をして自分の魂と肉体と対話し始めました。


いろんなことを気づき、いろんなものを解放し、いろんなものから解放され、、、


その結果の一つとして、私はお肉が食べられなくなったのであります。


お肉を見ても、え、なにこれ、、、食べたくない、、、という感じ。


でも、脳は覚えてるんです。お肉は美味しいはずだって、美味しかったって。だから、食べてみるんですけど、結局、全然美味しくないんです。

それまで美味しいと思っていたお肉ですが、食べても美味しく感じさせてくれないのです、肉体が、魂が。


そしてスーパーではお肉売り場で、マスクの下で、息がコオオオオオオオオってダースベーダーみたいになっちゃって、嗚咽のような、、、


首を切られ皮を剥がれた死体が積み上がってる、、、としか思えず、最近では自然と視界に入れなくなりました。


なので、あ、私はお肉食べられなくなっちゃったんだな、と思い、食べないことにしました。


ですが、困ったことに、なにを食べたらいいのかわからなくなってしまいました、最初は。


スープを作るのにもお出汁で鶏のブイヨンをとっていたわけですからなにを作っていいのかわからなく、貧血気味にもなってしまったりしました。


最近は豆とか魚を積極的に摂るようにして、前よりも貧血が改善されたようにも感じますが、変化があったばかりの頃は、ちょっと戸惑いました。


なぜこのような変化が起こったのか(分析)

はい、では何故私はお肉が食べれなくなってしまったのかを分析していきます。

私、鳥でした。

自分の肉体と魂と会話していく中で、色々思い出した光景があり、それを元に解放したものの一つが2メートルの小鷺でした。

当初は、私の過去生だと思っておりましたが、感覚的に今もなお同時進行で存在している気がするので
パラレルワールドでリンクしている存在か、もしくは家系に流れてきた守護神的なもののと捉えております。


彼女は、ちょっとギャルみたいなキャラクターなのですが、彼女を解放したてのリンクが濃かった時に、鶏肉を見て、げっ気持ち悪いこんなの食べてんの?ということをつぶやかれました。


共食いですものね。


わけわからない、と思った方いらっしゃると思います。笑。わけわかんないですよね。笑。

でも、わかってくれる方もいると思います。私が気づいたのも、多分誰かが気づいたからで、私が気づいたから、次の誰かも気づくんだと思います。


なので、私は共食いをするのは気持ち悪い、という感覚になったのでお肉を食べない、という選択肢を選びました。

魚は?
魚は食べてます。

調べたら、鷺は小魚を餌にしているらしく、、、(たまにネズミも食している模様、、、汗)

解放した2メートルの彼女もお魚食べたーーい!!となっていたので、お魚は食べれるんだ、、、となりました。

なんで肉はダメで魚は良いの?(分類)

さて、ここまでは哺乳類、鳥類は食べないけれども、お魚は食べれるという私の個人的な感覚の話でしたが、この個人的な話に、ちょっと客観的な事象を加えて食べれる物、食べれないものの区別をし、


だから皆様もお肉を食べることについてちょっと考え直してみませんか、と投げかけてみたいのであります。


だって、何も私だけが特別な存在なわけはないですし、私が食べられなくなっちゃったんだから、みなさんも本当は食べられないはずなんじゃないの?というロジックです。


そこで私は、感情(愛情)の有無が食べて良いか食べてはいけないかのラインとするのはどうでしょうか、と提案したいのであります。


そしてそれは、生物学的に繁殖形態がR戦略者とK戦略者という分類に分けることができそうなのであります。(私生物学者ではないのでだいぶ適当に言っておりますが。。。)


R戦略者とは、たくさん産んで生存確率をあげる戦略をする動物たちで、卵をたくさん産む魚類や昆虫がそうだそうです。


K戦略者とは、少なく産んで確実に育てることで生存確率を上げる動物のことだそうです。哺乳類とか、鳥類とか、、、。
もちろんそれぞれR戦略者のK戦略よりとか、またはその逆、とかはあるんでしょうけど。。。


前者はほとんどが産んだら産みっぱなしということが多く、(例外もあるのでしょうけど)後者は一定期間お乳を上げるなり、保護するなり教育をするなりしています。


この後者の行動には私は愛情という感情がなければできないのではないか、と考えました。


つまり、彼らは私たち人間と何ら変わりはなく高度な知能、情緒を併せ持ち、彼らを食することは共食いになってしまう、と考えるのはいかがでしょうか、と提案したいのであります。


だってわんちゃん、猫ちゃん食べられます?(愛しすぎて食べて体の中に取り入れて埋葬する、という方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、、、)


多くの方はワンちゃんネコちゃん食べない、と答えると思います。なぜでしょう?


感情があるのを知っているからではないでしょうか?彼らに高度な知能が備わっていることを知っているからではないでしょうか?お友達は食べませんよね。。。


では、なぜ牛、豚、鶏、馬、羊、鹿、山羊、猪、熊、クジラ、、等々は食べるのでしょう?


鳥さんたちは、つがいになって一生懸命卵を温めて、孵化したら餌を運んできたり、、、(カッコーはなかなかずるいですが、、、)あとは何かの動画でめちゃくちゃ心の傷を負ってるオウムを見たことがあります。。。情緒、、、あると思います。


そして私の以前の記事に、トルコのデニズリのとある村で見た犠牲祭の風景を記したものがあります。私がそこで見た牛さんは、高い知能と感情があることが見受けられました。
 
少し前の記事ですので、私の感覚はまた変わっていてこの投稿で書いてあることとここでの主張は食い違うところがあるかもしれませんが、ご了承ください。


このときすでに私は肉食を断つべき立ったのでしょうが、そのときの私にはそのエゴを断つことができませんでした。美味しい、という思い込みを手放すことができませんでした。。。


でも、今思い返すと、あ、確かに牛さんも食べちゃいけない存在だな、、、となります。

そんなこと言ったら魚にも感情あるんじゃ?(反論)

魚にだって感情はあるじゃないか!という方もいらっしゃると思います。懐くナポレオンフィッシュとかいますもんね。

確かに、私もあの懐いているナポレオンフィッシュは食べられません。笑。


さすがにあそこまでいくと高度な情緒があるように思えます。(でもそれは飼い主との触れ合いで後から芽生えたものかもしれません。)


ですが、大半の魚類の感情は、不安や恐怖を感知する機能のようなものだと考えています。(あくまでも主観、、、笑。)

海面から何か(鳥)降ってくるから怖いな、だとか、この色なら見えていないかな、ドキドキ、、、だとか、生命を後世につなげるために、生き延びるために危険を察知するために備えられた装置で、


愛情や思いやり、といった情緒まではなく、またそれがゆえに心理的なトラウマになるほどの恐怖は感じないのではなかろうか、と今の所捉えています。が、みなさんどうでしょうか?


自分が生きるか死ぬか、自分の子孫が残るか残らないか、、、のシンプルな感じで、彼らにはどうしてもっと早く卵を温めるのを交代するためにもっと早く来なかったの?とふてくされたり、我が子の毛づくろいをしたりするような複雑な情緒はないのではなかろうか、と私は捉えました。
サ○○ストとの共通点(あくまでも仮説)

そして、もう一つ、昨今巷を賑わせている事柄の中で、

たくさんの証拠や証言が出てきています。

たくさんのおぞましいことがあって、とてもじゃないけど書きたくもないし口に出すのもはばかられます。

その中で、おぞましい製造方法のドラッグのことを知りました。そしてふと繋がった考えがあって、

これって我々がお肉を作る工程にそっくりなんじゃないか、と。


屠殺される瞬間、この高度な知能、情緒が備わった動物たちは、自分の身の上にこれから起きることを理解し、大きな恐怖を抱くと思います。痛みに悶え苦しむものもいると思います。


その脳から出た恐怖を感じた時に出るのホルモンが全身に行き渡った動物のお肉を我々は美味しい美味しいと、食べているのであります。

ぞっとしませんか。

これは、あの彼らがしていることと同じではありませんか?

これでも食べられます?お肉、、、。


終わりに

以上の観点から、自分が単にお肉を食べられないようになっただけでなく、皆様にももう一度お肉を食べることについて考えてみませんか、とでしゃばってみたのであります。


もう一度言いますが、私が特別にそういうものに目覚めたわけではなく、ただ、今のタイミングでこのようになっただけで、昔はお肉を美味しい美味しいと食べておりました。



だから、でしゃばるのも恐縮なのですが、ただこのようなことに気づいてしまったものですから、きっと皆様も同じなのではないか、と思ってこの考えをシェアしてみよう、ということに至ったのであります。


ただ、強要する気は一切ありません。現に、夫はただいま生ハムサンドを堪能しております。笑。わかるよ、美味しかったもん、生ハム。。。


ただ、結局需要がある限り、我々は我々の仲間を殺してしまっているのであります。


最後になりますが、今、精肉業を営んでいる方々には営業妨害になるような内容、申し訳ありません。が、今、ベジタリアンだとかビーガンだとか大勢の方がシフトチェンジしているので、もしかしたら今のうちにビジネスのシフトチェンジを行っていくのはいかがでしょう、というとんでもないおせっかいを述べまして、今回の投稿は締めさせていただきます。


あ、卵とチーズについては動画で述べましたので割愛。

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