その時は姑も夫の姉の甥も一緒に夫の実家で暮らしていた時に溜まっていた鬱憤を発散させるために日記なるものを投稿しておりました。
引越しして夫と二人暮らしになってからは日記を書く鬱憤エネルギーがなくなったというかネタがなくなったというか、、、この度ブログを始めるにあたり、投稿する場所を一つにまとめようと思い、その時の投稿をこちらに引っ越すことにしました。
結構闇が見え隠れしてしまっているかもしれませんが、もしかしたらこの時の私のように嫁姑関係に悩んでいる人もいるかもしれないと思い、少しでも何か励みになればとも思い、その時の投稿をそのまま引っ越すことに致しました。
以下、日記その7です。このシリーズの過去の投稿はこちらから→ その1 その2 その3 その4 その5 その6
女性たちはバラと一緒に写真撮りたがる |
とうとう帰って来てしまった。マルガリータ様が。姑がいないこの1週間は、本当に快適で穏やかだった、甥っ子が来る前までは。
最初のうちは夫の姉がガス代の支払いについて顔を出したが、まあまあ許容範囲であった。しかし最後の二日でその姉の息子がコンピューターゲームをしに来てしまい、そして家に帰らずに物置になっている部屋で寝るということをしたため、私の精神はなんとも崩壊仕掛けてしまうのであった。
この甥っ子は15歳だか16歳だかで、難しい年頃なのはわかる。新しいお父さんというどこの馬の骨だかもわからない男が家に出入りし、わけのわからない妹ができてしまい、どうしたらいいのかわからないのかもしれない。
でも妹ももうすぐ5歳になる。まあまあ長い年月が経っているのだから、そろそろ折り合いをつけて諦めて受け入れて適応していけば良いものを、、、自分の祖母が不在の中、自分の叔父夫婦がすでに生活を営む場所にいきなり来て、飯食って泊まることができる神経がわからない。自分の家だと思っているのか。
まあ、そうだろうが、そろそろいろいろな状況がわかって気が使えるようになっても良い年頃なのだ。しかし、いきなり来て、ドアをガチャガチャっと開けてずっとテレビゲームをしている。
私が食事を出すのは当たり前と思ってるようにも捉えられたので、この子に対して危機感を感じる。(我が家では今、私が食事代を自分の貯蓄から切り出している状態。)
どうにかしてこの甥を自分の家族の元に返さなければならない。だがしかし、小さい頃から実の母親にはろくに目をかけてもらえず、実の父はもう生存しておらず、私の夫と姑と暮らしていたこの若造をこのよそ者の私が追い出すのはなんとも心苦しいのである。
でも、実際問題、夫の姉が二階部分に一つあった部屋をぶんどり、我が家には今、彼を受け入れる実質的スペースが足りないのである。
体が伸びきらないソファでホコリだらけの部屋でこの若者が寝るのは忍びないし、何よりこの家で彼はずっとコンピューターゲームをしてしまい、この大事な青年時期に日光にも当たらず、運動もせず、将来のための投資とも言える勉強もしないで過ごしてしまうのである。
モルドバではITだとかエンジニアだとか法律系だとか語学系だとか、専門的なスキルが身についている場合は月に10万円ほどの給料でまあまあ良い暮らしができるが、そうでなければ月給2〜3万は当たり前の世界である。食事と光熱費で終わりだ。家賃なんて払えない。掃除婦さんなんて月1万円だ。
一体みんなどうやって生きているのかわからない。地方の農家なら自給自足しているのかなと思うが、ここ首都キシナウでは自給自足はできない。
もし、学校の成績が悪くて何もできなくて余計なプライドがない者は逆に生き残れる。肉体労働をすれば良いのだ。建設業、内装業、引越し屋など、きつい仕事なら給料はもう少し良い。
しかし、この甥は学校の成績が悪くなく自分は頭が周りより良いと思っている。プライド、おごりがあるのだ。
そうなると、今の時期に頑張って何か専門的な知識やスキルを身につけておかないと、将来的にそのクソみたいなおごりとプライドだけが邪魔をし、肉体労働には世間体を気にして、そして根性もないからまずつけない、そして誰でもできるような仕事も周りからの目や自身のおごりからつけない、良いお給料の仕事も、特に音楽や美術、スポーツなどの芸、専門的な知識もないのでつけないのである。
そうなると悪い友達とつるみだし、アルコール中毒やマリファナ、ドラッグ、、、という道になっていくのである。
実際問題我々のご近所さんのナタリーはアルコール中毒で、仕事を見つけては酒気を帯びた状態で出勤しクビになり、仕事を探し、採用されては酒を飲んで行ってクビになり、、、を繰り返して今また求職中だ。
彼女の長男もすでにアル中ドラック漬けで、聞けば彼は学生時代は成績がよく、プロゲーマーにもかなり近い位置にあったらしい。要は自分は本当は天才なんだ、人より秀でているのだ、というおごりがあったのかもしれない。が、今はこの成れ果てだ。
が、この親子もとても大変な人生を歩んできており、アル中になりやすい精神状態ではあったのかもしれない。
というのも、ナタリーはまだ彼女の息子も小さかった頃、夫がいたのだが、その夫はマフィアというかギャングというか、とにかくブラックマーケットで荒稼ぎしているグループのボスで、ソ連崩壊後から数年後、モルドバ政府(という名のもはや別のマフィア)による犯罪グループの一掃が計られ、その夫は近所で拳銃5発発砲され殺されてしまったのだという。
犯罪者とはいえ、自分も汚い金で飯を食っていることをなんとも思わない妻であったとはいえ、目の前だかは知らないが夫が5発も撃たれて死んだら、それは酒に溺れドラックにはまってしまうのもわからなくもない。
精神的なケアをしてくれるなんとかセンターなんてあるわけでもないし、第一そういうものは危険だと口すっぱく刷り込んでくれる教育機関では昔は特にないのだから。
そんなこんなで、甥っ子に関しては将来食いっぱぐれて我々のところに来てしまっても困るし、なんとか大切な青年期を将来の準備期間に当てて欲しいのである。
そして何より私は彼のやるテレビゲームの音が聞きたくもないし、まだ16歳くらいとはいえ夫が仕事にでている中(夫は先々週くらいから仕事が見つかり昼間働いている)、夫以外の男が家の中にいるのも嫌だし(私自身母と2人暮らしの時期が長かったため、家に男性がいることがあまり快適ではない。)私の精神衛生上、彼がこの家に自由に行き来するは断固として拒否したいところである。家族といえども節度を持って接して欲しいと思う。
とはいえ一方的に来るなとも言えないので、この家には君のためのベッドがないこと、食べ盛りの君にご飯を食べさせてあげられるだけの経済的な余裕がないこと、コンピューターゲームに24時間費やさずに将来のことを考えろ、ということを伝え、私のバイブル「アルケミスト」をルーマニア語で買ってきて、何かこいつも人生の宝物を見つけて欲しいと願いながら、読んだら返せと渡したのである。
最初は本は読まないとごねていたが、最後はその本をちゃんと持って返ったのである。ただ構って欲しかっただけなのだろうか一連の行動は、、、なぜ私がここまでしなければいけないかというと、姑も、夫も、嫌われるのが嫌なのでガツンと言わないのである。
当たり障りなくやんわり腫れものを触るようにしているのは、結局この青年への愛ではなく、自分自身の身を守ろうとしているだけなのだ。
叱るというのは、叱る本人もとても労力がかかる。言いにくい、言いたくないことを言わなければならないときもある。でも、本当にそいつのことを思うなら、嫌われても喧嘩になってもいいから伝えなくてはいけないと思うのだ。
そして彼も間違った方向に行こうとしてる自分に目を向けて構って叱って欲しい、と思っておるのではないか、、、?
本当は姑について書こうと思ってたのに、長々と甥の話になってしまった。ここらで一区切り。
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