2019年11月18日月曜日

姑と夫の実家で同居していたときの私の闇日記8〜文化〜

実は私はdorcoというアカウント名でnoteをやっていて、だいぶ前から更新がストップしてしまっていました。


その時は姑も夫の姉の甥も一緒に夫の実家で暮らしていた時に溜まっていた鬱憤を発散させるために日記なるものを投稿しておりました。


引越しして夫と二人暮らしになってからは日記を書く鬱憤エネルギーがなくなったというかネタがなくなったというか、、、この度ブログを始めるにあたり、投稿する場所を一つにまとめようと思い、その時の投稿をこちらに引っ越すことにしました。


結構闇が見え隠れしてしまっているかもしれませんが、もしかしたらこの時の私のように嫁姑関係に悩んでいる人もいるかもしれないと思い、少しでも何か励みになればとも思い、その時の投稿をそのまま引っ越すことに致しました。

この日記シリーズの過去の投稿はこちらから↓
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

以下、日記その8です。
 
キシナウの街角

投稿頻度が減ったと思いきや今度は同日に2回の投稿になる。一つ前の投稿を書き終えてから美術館に行ってきた。それでどうしてもメモしておきたい想念が湧いたのでここにまとめておきたいと思い再びパソコンを開いたのだ。


 モルドバの国立美術館に行ってきた。そういえばモルドバに来てから観光客が行きそうな場所に行っていないと思い、専業主婦である今、行ってみようとなったのだ。私のリサーチ不足かもしれないが、美術館らしきものはこの国立美術館しかないようだ。


私は何か自分にインスピレーションを与えてくれるものがあるのではないかと期待しながら行った。こんなこれといって何もないモルドバにも、美術館に行けば何か自分のワクワクするものや感動するもの、興味の惹きつけられるものがあると思い、行ったのだった。


 しかし、結果はよくなかった。悪い時間は流れなかった、静かで落ち着いた雰囲気の中、何か感銘を与えてくれるものを探した。それで、なぜ私はそれに惹かれるのかを考察する時間にしたかったのだが、なんというか素朴というか、自分の好みではないというか、、、。


まず、おそらくモルドバのどこかの古い教会から持ち出されたと思われる宗教画、というのだろうか、本来教会の壁にかかっていたようなものたちのエリアがあるのだが、明らかに下手くそなのである。


それはそれで面白い。何故なら名画と呼ばれるものたちがいかに名画であるのかがわかるからだ。体のバランスはおかしいしみんな同じ顔であるし、立体感もないし、、、100円もしない入場料なのだからまあ何も文句は言えないのだが、これ飾れちゃう美術館て逆にすごいな、と思った。


それがあったから、そのあと二階の一部屋にいわゆる企画展のようなものがあって、それも神話を題材にしたようなものやお偉いさんの肖像画などありふれたテーマの絵画なのだが、フランスやスペイン、ロシアの作家の本当に上手と言ったら陳腐に聞こえるかもしれないが、まあ最初に見せられた美術品のおかげもあって、いっそう美しく見えるのである。


他にも彫刻などがあって自分で気づいたことや思ったことなどをメモしてみたりと、まあまあインプットする時間にはなったのだが、もう一回来たい、もう一度観たい作品に出会うというようなことはなかった。



 そしてモルドバにがっかりした。国立の美術館で、これか。首都にある美術館でこれか。何も息を呑む、圧倒されるような衝撃はない。



トルコなら美術館ではないけれどもトプカプ宮殿やアヤソフィアに私は圧倒され、イスラエルにあった近代美術館もすごく興奮を覚えるものがあったし、オランダではゴッホ美術館だかがあって、ちょうどムンク展をやっていたのもあって私はとても楽しんでいた。



日本でだって子供の頃上野の森美術館やらなんやらよく母に連れられて行き、わからないながらにもそこには照明の加減、配置等々よく練られた空間で、これ好きだな、なんか怖いな、などと子供ながらにいろいろ感じることができる機会を得ていた。


しかし、今日行ったモルドバ国立美術館は、照明にもこだわりのないただ漠然と陳列されただけのなんだここは郷土資料館か?という雰囲気だ。作品がまず集中して見れない。日常的な光が反射して観にくい。


オランダで観た真珠の耳飾りの女だか題名ははっきり再現できないが、あの教科書でしか観たことのなかった絵を生で観たときはその絵にも感動したが、何よりその作品がもっとも美しく見える照明と壁の色、など空間の演出も素晴らしく、その作品にスポットライトが当たったように演出されていた。


そのような配慮がここには全くと言っていいほどない。そもそも国家が文化に力を入れなさすぎていることが私の中で感ぜられてしまったのだ。


上層部の人間だけが良い暮らしができれば国民の文化水準なんてどうでも良い。上の人間に都合の良い人間が育てばそれでいいのであろう。子供達の情操教育なんてどうでもいいのだ。心の動かない感動しない人間に育てて上の指示におとなしく従う他のない人間が増えればそれでいいのであろう。そんなことを感じてしまったのであった。


 これまで、モルドバにこのまま永住してもいいかな、ここで子育てするようになってもいいかな、などと思いはじめていたが、今日、いやいや、ここじゃだめだ、となった。


かと行って、他にどこに住めるのか、仕事はどうするのか、解決しなければいけない問題は山ほどあるが、行動していかないと後悔したまま人生が終わってしまう。


ちなみに、政府から国の財産の4分の1を騙し取った疑いのある政界の人間たちは、ここ最近の国会議員の再選だかの動きの中で逮捕される可能性が浮かんできたため国外かどこかに姿をくらませたらしい。オルヘイの市長もそのうちの一人なので、今オルヘイ市長は不在なわけだ。


全く、世界にこんな国があるだなんて衝撃を受ける。何はともあれ、文化活動に力を入れている国に住みたいものだ。


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