2019年11月20日水曜日

姑と夫の実家で同居していたときの私の闇日記のその後(最終章後編)

こんにちは、ぽんたです。


前回は「姑と夫の実家で同居していたときの私の闇日記」最終章(前編)を投稿いたしました。この投稿はその続き(後編)です。このシリーズはこの投稿で終わりになります。


このシリーズの過去の投稿はこちらから↓

その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10 その11 最終章前編


ところで姑の生い立ちは、結構大変だったようだ。幼児期に母親が目を離している間に湧いていた熱い風呂に落ち火傷、それも結構命を脅かすくらいの程度だったようで、母親がちゃんと面倒をみていないとみなされ児童施設で育つことになってしまう。父親は泥棒かなんかで刑務所から出てはまた何かしでかして刑務所へ、という感じ。


幼少期に一番お母さんと一緒にいたかった時期にいれなかったことや、欲しかったものが買ってもらえなかったりしたこと、失うことが怖いのか、なんでも手の中に収めようとしてなんでもやりすぎたのか、娘、息子を甘やかして育てた様子。というか、ものだけ与えすぎちゃったのかなー?という印象を夫の話を聞いてて受けた。


ここからは私の想像だが、幼少期に与えられた愛情が少なく、それでも頑張って子供孫に自分なりに愛情っぽいものをそそいでみたものの見返りがなく、私はこんなによくしてきたのになぜあんたたちは何も返さない?!と喚くようになってしまったのだと思われる。


見返りを求めるくらいなら最初からやらなければいいのだけれども。


とにかく、そんなこんなで夫の精神的な苦痛がこの家にいる、という意地をかなり上回ったため、やっと「この家を出よう」と決断してくれたのだ。


決断してから、もう次の週の土曜日からは新しい部屋での生活が始まった。夫の職場の人の紹介で空き部屋がぽんっと見つかり、そこにぽんっと引っ越した。


この家を出ていく、と夫が姑にいった時は姑は「みんな私を捨てていく」と喚いていたが(現に私の夫の父、姑の1番最初の夫はよそにまあまあの数の女性がいて、行ったり来たりして挙げ句の果てに行ったきりになってしまった。ちなみに姑に俺が間違っていたと謝りにきた次の日に心臓発作で死去してしまった。)


私がなんとか「少し離れた場所に部屋を借りるだけでキシナウにはまだいるから。ママにちゃんとしたベッドと部屋に寝てもらいたいだけなのよ。」となだめた。しかし「お茶しようね。」と言って出てきてからまだ一度も会っていない。


会いたくないのだ、はっきり言って。夫は忘れ物を取りに行ったり洗濯機を借りに行ったりしてちょいちょい会っていて、りんごやくるみをもらってきたりしてちょうど良い距離である。


私は、夫の実家を出てかなり楽になった。楽になりすぎて怠惰だ。相変わらず部屋の片付けと掃除はあまりできていないし、夕食だけ作って昼はその残り物で済ませる。


市場に行ったり、買い物の時に誰かと喋るのも肩の力が抜けて、自分から「こんにちは」が言えるようになった。そうすると以前ツンケンされることが多かったのに、最近は全然ない。


多分私がとんがっていたんだろうと思う。まあ、心安らぐホームがなくいつもキリキリカリカリして余裕もなく、誰かと話したくもなく、常に鎧を着、戦闘モードであったのが伝わっていたのだろう。


今では、ほんわか雰囲気で行動しているためか、市場で何か買うたびに今まで話さなかった一言二言を交わすようになってきたし、パッと笑顔が出せるようにもなったので、たいていのことは自分のあり様だったんだなあ、と再認識することができた。


それでももしツンケンする人がいたら、その人の状況に余裕がないのだと思うことができる。変に傷つく必要がないのだ。何語を話せるのかもわからない人が来て、向こうが怖がっているだけかもしれない。


姑は、アメリカ在住のロシア人との縁談が結局破綻した様で(ビザ関係の用事でその男性と喋っている時の姑はまるで奴隷に命令でもするかの様に喋っていたので心配していたのだが、案の定、だった。)


お互いの利害関係が一致するのだから割り切ってうまく交友関係を構築すればいいのではないかとも思っていたのだが、おそらく相手が姑の難ありな性格に気づいたのだろう。(姑は娘が彼に金をせびる電話をしたからだ、と思っているが。)


それでも姑の持つネットワークは計り知れず、イスラエルにいる親戚の子供のベビーシッターとして年末から3ヶ月、出稼ぎに行くらしい。


同居期間が終わり、姑及びその周りについて書くネタがなくなったのは残念だが、もう同居はしたくない。それでもあのクレイジーぶりがたまに恋しくもなる今日この頃、姑にはどうか心安らぐ日が生きているうちにくることを願うばかりである。


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